禅僧の言葉 Vol.02 菩提達磨「不識」

Vol.02 菩提達磨「不識」

  菩提達磨(ぼだいだるま)は、6世紀初頭に禅をインドから中国へ伝えた高僧です。禅観はインドに由来しますが、禅宗は中国で独自に起こり発展するのです。そこで、達磨は「初祖」と称され、存在そのものも伝説とされていますが、今に伝わるエピソードも禅宗では大切な教えの一つとなっています。
  インドから海路、中国まで渡った達磨を、当時大変喜び、熱心に迎え入れた王がいました。梁(りょう)の武帝(ぶてい)です。武帝は仏法に深く帰依し、世間から「仏心天子(ぶっしんてんし)」と崇められていました。

  ある時武帝は、都がある金陵(現在の南京)の宮中に達磨を招き、質問をします。
  「朕、寺を起(た)て僧を度(ど)す。何の功徳かある」
  「私はこれまでにたくさんの寺を建立し、僧侶を育ててきた。私には将来、どれだけ大分の幸福がもたらされるか?」と。
  この問いには、おそらく次のような意図が込められています。武帝は、仏教の本場であるインドから来た達磨という高僧によって、自分自身の善行に対しての果報を、確証して欲しかったのでしょう。しかし、そんな思惑は達磨の衝撃的な返答によって、完全に打ち砕かれてします。
  達磨は「無功徳(むくどく)」と、突っぱねるのです。武帝の行いの、どれもこれも果報を受けられるものではない。功徳欲しさに行う善行が何の役に立つであろうか。褒められよう、認められようという物欲が、せっかくの行いを悪行にしてしまうというのです。
  要するに武帝の行いは、あくまでも利己的なものにすぎない。自分の欲望を満足させるだけの行為を、「信心」という名で美化しようとしていることを、達磨は見抜いていたのです。
  望みの答えを聞き得なかった武帝は、問いを重ねます。「禅の真髄とはいったいどのようなものか?」と。それに対して達磨は、「廓然無聖(かくねんむしょう)」と喝破(かっぱ)するのです。

  「廓然」とは、からりと開けた、何のとらわれもない無心の境地を表したものです。その無心のところには、聖なるものも、凡なるものも、何も比べるものは無いと言い放つのです。自分が信じて求めてきた仏法というものに、「聖なるもの」が無いと言われた武帝は、どうしても納得がいきません。今までの行いの全てを否定されてしまったからです。そして、そんな達磨に対して「では、私の前にいるお前は何者だか?」と尋ねるのです。

  達磨は一言、答えます。「不識(ふしき)」と。

  この「不識」は「そんなもの、しらない」という意味の言葉ですが、禅での解釈はそう簡単にはいきません。達磨が「不識」と言ったのは、武帝の心にある「執着」というものを捨てさせるためだったのです。

  人間はどうしても、聖とか凡とか、生とか死とか、有るとか無いとか、好きとか嫌いとか、対立する二つの思考にとらわれてしまいます。禅ではとかく、この対立する二念を嫌います。「識る」、「識らず」と、自分が生まれてから身につけてきた知識や経験に惑わされることなく、それらを完全に捨て去ってこそ、禅でいうところの「不識」を体得することができるのです。
  思い返せば、私たちが「わかる」と確信をもって言えることは、どのくらいあるでしょうか? 地獄があるか? 天国があるか? 自分の寿命はいつまでか? 考えてみると私たちの人生は、わからないことだらけではないでしょうか。結局のところ、明日自分自身が生きているかもわからないし、身近なところで言えば、明日の天気すらわからないのが私たちなのです。
  以前、あるテレビ番組が、東日本大震災で大変な被害に遭われた岩手県大槌町に設置された、一つの電話ボックスのことを特集していました。
  「風の電話」と名づけられたその電話ボックスの中には、電話線に繋がっていない黒電話がポツンと置かれています。電話の持ち主の方は、震災の前年に亡くなられた、仲のよかった従兄弟と話をするため、はじめは自分自身のためにこの電話ボックスをつくられたそうです。
  震災が起き、月日が流れ、「風の電話」にはたくさんの方が訪れるようになりました。あの日に「いってらっしゃい」と声をかけて送り出したご主人や、喧嘩したまま声もかけずに別れてしまった家族と話をするために、その電話に向かって話しかけるのです。
  たくさんの方々が、それぞれの想いを胸に、電話線も繋がっていない黒電話の受話器を耳にあてるのです。もちろん、何を話しかけても受話器から相手の声は聞こえてきません。
  この方たちの声は、大事な人に届いているでしょうか。答えるとすればこの一言です。
「わからない」
  わからないけれども、届くと信じて、届いていると信じて生きていけるのが、私たち人間なのです。
  私たちの人生において「わからない」ことは、確かに心配で、恐ろしいとかもしれません。自分が学んだ知識や蓄えた経験で、何とか答えを導きだしたいと思うのは当然のことと思います。私にとっての「禅の修行」も、まさに「わからない」ことだらけでした。無理に理屈をこねて理解しようとせずに、根拠を求めようとしない。ありのままで、「わからない」と心から納得することができれば、きっと自然体で生きていけると思うのです。

細川晋輔  臨済宗妙心寺派 龍雲寺 住職

1979年生まれ。東京都世田谷区・龍雲寺住職。松原泰道の孫。佛教大学卒業後、京都・妙心寺専門道場にて9年間禅修行。花園大学大学院修了。妙心寺派布教師。東京禅センター副センター長。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』禅宗指導。朝日カルチャー新宿教室、早稲田大学エクステンションセンター中野校講師。著書『わたしの坐禅』(青幻舎)、『人生に信念はいらない』(新潮社)、『迷いが消える禅のひとこと』(サンマーク出版)ほか。

細川晋輔

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