仏教伝道協会では、事業に掲げる「仏教精神と仏教文化とその学術振興促進に対する助成と表彰事業」の一環として、仏教伝道文化賞を贈呈いたしております。
この賞は、国内外を問わず、仏教関連の研究や論文、美術や音楽、仏教精神を基に活動する実践者など、幅広い分野にて仏教精神と仏教文化の振興、発展に貢献された方がたの、その労に感謝し讃えようという意図から昭和42年に制定され、毎年、仏教伝道文化賞選定委員会によって、受賞者を選定し、顕彰して参りました。
平成24年度より、賞の内容をあらため「仏教伝道文化賞 沼田奨励賞」が新設され、今後の仏教伝道を通じた文化活動の振興が、大いに期待できる方または団体に同賞を贈呈することとなりました。
同賞の選定にあたっては、国内外の仏教各宗派、宗務所、大学等の教育・研究機関、仏教団体、報道機関、専門家、研究者等に推薦依頼状を発送して、データを集め、外部有識者と専門家からなる選定委員会の公正な審議・選考の上、決定されます。
受賞者には賞金と所定の記念品等を贈呈します。
賞 金 | 仏教伝道文化賞 500万円 仏教伝道文化賞 沼田奨励賞 300万円(受賞者が2名になる場合は各150万円) |
2024年7月24日「第58回仏教伝道文化賞選定委員会」が開催され、厳正な選定の結果下記の方が選ばれました。
■仏教伝道文化賞
ポール・グローナー 氏(ヴァージニア大学 名誉教授)
長年にわたり日本の文化と仏教の研究に尽力し、英語を通じて日本仏教を諸外国に伝え、また日本において若手研究者の育成に貢献した功績。
■仏教伝道文化賞 沼田奨励賞
吉水 岳彦 氏(浄土宗光照院 住職)
仏教の慈悲の精神に基づき、夜間の見廻りをする等、寺院の宗教的社会的活動が高く評価されていることを讃えて。
なお 贈呈式は2024年10月17日(木)午前11時より仏教伝道協会に於いて執り行われる予定です。
仏教伝道協会は2011年10月12日に、東日本大震災の影響で延期しておりました第45回仏教伝道文化賞贈呈式を執り行い、信楽峻麿師(元龍谷大学学長、龍谷大学名誉教授)に仏教伝道文化賞(A項)、A・T・アリヤラトネ氏(サルボダヤ・シュラマダーナ・ムーヴメント創設者)に仏教伝道文化賞(C項)を贈呈いたしました。
お二人を囲んで、仏教と社会の関係について語っていただきました。
敬称略
編集=広報企画グループ
沼田 : お二人の先生方、本日は本当におめでとうございました。 仏教伝道文化賞も45回を迎え、この上ない喜びです。スリランカのアリヤラトネ先生をお迎えできたことは、単に日本国内だけでなしに、この仏教の弘がりを顕彰する活動の表れとして喜んでおります。
福山:おめでとうございます。
信楽先生はとっくに頂いておるかと思っていました。
仏教伝道協会の理事長を長く勤めて居られたことから、遅れたのだと思います。
これからもますますの御活躍を期待しております。
信楽:スリランカの先生と一緒に授賞して恐縮しております。スリランカへは行ったことがないのですが、龍谷大学大学院の私のゼミナールで学んでいた留学生の、スリランカ出身のアリヤワンサさんが現在、メッタ幼稚園を開いて日本の幼稚園とも交流しています。そういう意味ではご縁の深い所だと感じ、彼もまたアリヤラトネさんと同じような考えをもっており、共通点があるものと考えております。
私は、宗教を考える場合に一元論的な視点が必要だと思っています。日本の宗教は二元論になってしまっています。この二元論の発想は、これからの人類の未来にとって限界があるのだと、かねがね思ってきたわけです。東洋の一元論的な立場に立たない限り、地球が一つになるとか、環境を良くしようといった問題を含めて、生命の問題まで掘り下げて考えるならば、一元論という立場にたって、政治も科学も経済もひっくるめて捉えるべきでありましょう。お釈迦さまの生きられたように、あらゆる生命を尊ぶことをもう一度再現しないかぎり、人類の未来はないと思う。そこに、今の我々日本の仏教教団がどれだけそのことについて自覚しているのか、それを私なりに模索しながら、仏教の社会性ということを考えてきましたが、道半ばという所です。これからも生命の限りとおもって、励んでおります。仏教伝道協会からお誉めいただき、少し元気がでました。
アリヤラトネ:西洋から学者がいらっしゃいますと、スリランカ、タイ、カンボジア、ラオスなどを訪れて、日本と比較して、違いの方を見つけようとします。物質的な科学的な見方を持った方は、表面的な仏教の流派の違いを強調します。しかし、表面的な儀式などの違いではなく、その奥底を流れる基本的な考えの方を見れば、はるかに共通点の方が多いのです。
私たちが、仏教を基本に社会を見る場合、共通項に立って、社会を考えていくことが最も重要なことだと思います。私は仏教伝道協会が刊行している「仏教聖典」を最初から最後まで読みますが、その内容は私がスリランカで学んだ仏教と何一つ変わるものではありません。大乗仏教と上座部仏教、密教も仏教の教えとして違いはないと思います。
儀式に重点をおいて活動していることに対して、もっと日常生活の実践として仏教を考えていくことが必要だと思います。
50年以上前にサルボダヤ運動を始めたわけですが、目指していたものは、仏教の教えをスリランカの村々で実践しようということを志して始めました。活動の当初から、仏教は心の中の問題であって、実践するのではないという批判がありました。批判もありましたが、社会的にも尊敬されている高僧たちが賛同してくれたことから、批判が少なくなり、多くの僧侶の協力を得られるようになりました。
沼田:どのような活動をなされたのですか。
アリヤラトネ:都市部に住む高校生などの学生を農村部へ連れて行き、ボランティア活動をすることでした。貧しい人を助けるということが目的ではなく、むしろ仏教の教えを実践するということに力点を置いて活動しました。50~100人の学生を連れていき、最初にやることはメディテーション(瞑想)です。ラブ・アンド・カインドネス(Love and kindness)という慈悲の心で瞑想することです。優しい慈しみの気持ちというものが、この世界中の全ての生きとし生けるものに行き渡るようにという瞑想です。その次に慈愛の思いを行動に反映させることをします。
その実践として、道が通って居なかった村で道路を作りました。みんなで力を合わせ、労働を提供するという活動を行いました。道が完成すると学校や病院に行くことができるようになります。農民は作物を市場に出すようにできるようになります。したがって、道をつくることによって、すべての人々の生活に貢献することができるのです。
沼田:仏教精神によって、社会貢献を行うのですね。
アリヤラトネ:メッタ、カルナー、ムディター、ウペッカー(慈・悲・喜・捨)という4つの原則があります。
メッタというのが、ラブ・アンド・カインドネスで慈の気持ちです。それを実際に行動に移す奉仕するのがカルナーです。例えば、2004年の津波によって埋まってしまった井戸を直したり、亡くなった方を埋葬したりという
活動です。それによって、喜びをえるのがムディターです。経済的に得にならないことをどうしてやらなければならないのかということを良く聞かれたことがありますが、そういう無償の活動通じて自らが喜びを得るということです。最後のウペッカーは、人と人との間に道をつくってゆくといった、心の啓発、啓蒙、自己開発を得ていくというのが目的になっております。
そういった活動を通して、仏教の教えの4原則を実践していきます。村の人が一体となり、食べ物や農機具、雨露をしのぐ住居を分かち合い、正しい仕事をしていくことによって、言葉が正しくなります。他の人を傷つけない、いたわりの気持ちをもった言葉を使うようになり、そして、破壊的な活動を一切しない建設的な考え方となり、平等を実現するようになります。この3原則が実現すると、また、4原則も実現します。
平和的な活動を続けていくと、他宗教のクリスチャンやヒンドゥー教徒、イスラム教徒であっても協力してくれるようになりました。最初は1つの村からサルボダヤの活動は始まりました。それが10になり100になり、今は15,000の村々で活動が展開されています。これはスリランカの村のほぼ半数にあたる数です。貧困と闘い、村の結束を高め、非暴力的な静かな革命を続けてきたのが、サルボダヤの活動です。
仏教では縁起を説きます。ですから、基本的な立場としてモノと精神を分けて考えるべきものではないというのが、私の信念です。つまり、信仰とは一元性そのものだと考えています。
沼田:日本仏教との共通点が多いことに驚かされました。信楽先生にもお聞きしたいのですが、仏教の説く教義のとおりの活動をしておられると思います。仏教では自利利他ということを申しまして、自分ことだけではなくして他の為に、ということを申します。
アリヤラトネ先生が行っておられることは、大乗仏教でいうところの布施、持戒、忍辱、精進、智慧という六波羅蜜であると思います。
アリヤラトネ:スリランカでは方便・願・力・智を加えた十波羅蜜と言いますが、行っていることに違いがあるわけではありあません。私自身も、今回頂いた賞金はすべて寄付します。スリランカのメディテーションセンターのパゴダ(仏塔)建設の為の資金に充てたいと思っています。
沼田:親鸞聖人も農村部に入ってお法りを説かれましたが、いきなり難しい法を説いていないと思うのです。
信楽:お釈迦さまは人間の生き方について4つのことをおっしゃっておられますね。まずは布施、利行、そして3番目が愛語、そして4番目が同事(どうじ)です。この同事とは同じことをすると書いてあります。例えば、親が子どもにスプーンで食事を与えようとした時、子どもの口を開けさせるために、まずは自分が口を開ける。それが同事です。全く相手と同じことをやる。これは親鸞の生き方にも見られます。
例えば、関東で布教して回った際、農村の困っていた人だけでなく、鎌倉時代の当時悪人とされていた猟師や商人を〝われらなり〟とおっしゃっておられます。親鸞は実際に商売をしていたわけではありませんが、そこに立って物事を考えておられます。また道元は、愛語について「愛語よく回天の力あり」と、世の中をひっくり返す愛の言葉だと言っています。こういう言葉を、道元でも親鸞でも言い、きっちり対応している。こういった視点が、現代の仏教教団にどのように活かされているかを、私は今まで徹底的に問うてきたわけです。
福山:「愛語というは、衆生を見るに、まず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生(じねんしゅ
じょう)猶如(ゆうにょ)赤子(しゃくし)の懐(おも)いを貯えて言語するは愛語なり」と道元禅師はおっしゃっておられます。皆一緒に、愛し合って生活していくことが根本の意味だと思います。
また、「同事というは不違なり、自にも不違なり、佗(た)にも不違なり。たとえば人間の如来は人間に同ぜるがごとし、佗をして自に同ぜしめてのちに、自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚(あつま)りて海となるなり」とありますね。
(つづく)
信楽:私が考える問題はね、スリランカと比較してズレがあると思うのは、日本においては政治と仏教が分裂してまったく無関係になっている点です。
スリランカでは社会運動がそのまま仏教へとつながっている。 ところが、日本は社会が成熟してくることによって、それが2つに分かれてしまっています。今日では政治が学校や病院を造ったりする。
奈良時代の行基や空海に見られるように、そういった社会的な活動は仏教活動の中に本来は入っていたのです。しかし、それがズレてきた。現代の仏教教団はもっぱら死者を相手にして、社会的な活動とは分かれてしまっているのです。
政治と仏教がそれぞれの独自性、主体性をしっかりと確立しながら、どこかでは協力、協調しなければならないのです。それが、スリランカでは見事に成り立っているのですが、スリランカでも将来的には分かれるかもしれません。
日本は元々よく協調していたのが分かれてきたのです。しかし、日本仏教は、スリランカの現状をどうやって捉えるべきなのかを考える必要があり、政治と宗教をどう考えるのかは、これからの日本仏教の将来にとって重要な問題です。スリランカに学ばなければならない点です。
アリヤラトネ:サルボダヤでは過去50年以上の活動を続けてきたわけですが、それは、階段を一歩づつ登るような着実な歩みでした。仏教を行動に移す、実践するということについて、6つの領域があると捉えています。
1つ目が精神性、2つ目がモラル・道徳に関する部分。3つめが文化、4つが社会的なもので、人々の心を一体としていくことも含みます。5つ目が経済で6つ目が政治の領域です。この中でサルボダヤは活動を続けてきたわけですが、政治に関して言うと、僧侶が政党政治の活動に参画することを禁止しています。仏教的な政治勢力もありますが、残念ながら本来の意味の仏教精神から外れた権力闘争に明け暮れている所があります。
サルボダヤでは、釈迦が説かれた良い政府のあり方、良い王が持つべき十の資質を守ることによって、政党政治ではない政治のあり方を目指しています。
沼田 :それら仏教の教えは「仏教聖典」にも説かれている所ですね。
アリヤラトネ:スリランカの約15,000の村々のうち、約6,000が地産地消の運営をし、約3,000の村ではガンディーの説くような自立的なあり方を実現しています。私たちには、権力もお金もありませんが、そういう意味では、長い活動の積み重ねの中で本来有るべき開発を行ってきました。
今のスリランカを見ていると、残念ながら、他の国々が辿ってきた同じ過ちの道に入っているように見受けられ、危惧しています。今の政治の仕組みは、ピラミッドの頂点にあり、民衆との距離があります。そういう仕組みではなく、仮にピラミッドがあったとしても、より平坦の、草の根レベルで参加の出来るしくみ。政府が経済の搾取をするのではなく、権力が過度に集中するのではなく、村々が自立した存在であり、それが通信手段によって結びつけられ、そして、智慧のネットワークによって結ばれていく様なフラットな形の社会制度を目指し
ています。残念ながら政党政治に明け暮れ、殺人なども起きることもありますが、私たちが目指しているのは、非暴力的で参加型で、みんなが智慧を出し合い、総意によって運営されるような政治が必要だと思います。
また、良い方への変化もありました。当時96歳の高僧がサルボダヤへ来られて、「アリヤラトネさんは80歳でまだ若い。しかし、私はあなたより16歳年上ですが、若いころから、あなたから仏教を実践するということを学んだ。」とおっしゃっておられました。そういう意味では、僧侶も社会との関係を学ぶようになって来ているので大きなことだと思っています。
沼田:まさにお釈迦さまが説く仏教の精神が、サルボダヤの活動の中で生かされているということをお聞かせい ただき、心強く感じております。
信楽:東日本大震災では、私の周辺の学生さんたちも随分と活動しています。しかし、スリランカのような形で、仏教精神を社会に生かすということが日本の中ではなかなかできなくなっている。社会が成熟してきた、世の中が世俗化してきたことにより、精神性というものが欠けてきているのです。ボランティアとして仏教精神は生きているかもしれませんが、それが政治の中心に入って、それを動かすという運動にはなりきれなくなっています。
これは欧米もそうですが、宗教が非常に観念化されてきている。例えば、ニューヨークでも教会への礼拝者は減っている反面、カウンセリングなど精神相談には人が多く行く。それは日本でも同じです。一日に百人近くの自殺者がでています。これは先進国でトップの自殺者率です。5・60代の壮年期の方が多いようです。宗教の関わりが上手く行っていない。成熟社会と言われているが、精神性が付いていっていない。これは仏教教団だけの問題ではなく、政治そのものの仕組みにも関係している。この問題を我々仏教徒は、どう関わってゆくか、宗教と政治がどこで関わりを持つのかという点が問われているのです。妙に関わったら政党政治に利用されるだけです。このようなことは今後においては世界的な問題点ではないでしょうか。
東京電力の原子力の問題について、どう考えるのかも同じです。宗教者はあまり発言していませんが、これはある意味で宗教者の問題だと私は考えています。こういう人間の根本の問題に宗教が深く入り込んでゆくなら、政治が宗教に学ぶべきものがあると、本気になって捉えられるでしょう。このことは世俗化してきた仏教徒の一番の問題で、仏教は世界人類の将来のあり方をどうやって責任をとるのか、仏教が言わないかぎり、政治だけで地球を動かし続けるならば破滅するでしょう。それはもう、目に見えています。宗教のありようが、これからいっそう問われてくるでしょう。
だたし、宗教が集団として関わると必ずだめになります。宗教者が政治団体を作って信者を動員するのは愚の骨頂で、必ずどこかで問題が起きてきます。そうではなくて、信心、信仰によって確かに自立したところの個人的な宗教信者が政治家になる。あるいは経済界に出る。そういう明確な信念をもった人がそれぞれの業界で発言し、行動する。こういう人物を育ててゆくという運動が宗教者としての役目だと思います。大変難しいことですが、親鸞や道元の発想はそういうことだったと思います。人間をどう育ててゆくかという視点に立たない限りどうしようもない。それはもう目に見えている。一人でも二人でも仏教精神を身につけた政治家です。たとえば今日もこの会合に出席されていた杉浦正健元法務大臣のように、「仏教徒として死刑のサインはしない」といった、何か確かな信念を持った政治家が出ればね、ちょっとは世の中が動くでしょう。教育にしても、経済にしても。
沼田:沼田惠範発願者が常々おっしゃっておられた言葉は「世界の平和は人間の完成によってのみ得られる。人間の完成を目指す宗教に仏教がある」です。この深い信念のもとに、仏教伝道協会を設立されましたことを考えると、お二人の先生方がおっしゃられた通りだと思います。例え政治家であっても、どんな職業に就いていようと、信心が備わることが大切だということですね。
アリヤラトネ:私も皆さんの意見に賛成です。サルボダヤのメンバーは、あらゆる政党の党員総数よりも多いのです。しかし、私たちは権力政治には参加しません。メンバーの誰かが立候補しても、議席を得ようと応援することはありません。選挙の街宣車がサルボダヤの近くを通った際、ミーティングなどをしていたら街宣をせずに
静かに出ていきます。それは、道徳の力だと思っています。勿論精神的な力もあるでしょう。
サルボダヤでは、最大の時には90万人を集めましたが、その時に行ったのは戦場に向けて平和の祈りを捧げたことです。スリランカでは悲しいことに30年間の内戦が続いていました。私は武器を持たずに戦場に入っていったこともあります。しかし、テロリストと呼ばれた人であっても、私に危害を加えることはありませんでした。テロリストと呼ばれる人も、平和を望んでいるのです。だからこそ平和への祈りが、平和を築く原動力になるのです。ですから大人数の瞑想を組織します。それが、色んなグループのリーダーの考えにも影響を与えると思います。多くの祈りの気持ちを持っていると、怖れることなく、例えば原子力の問題についても発言することができます。仏法の中に、人間が犯してはいけない5つの法があります。1つがヴィージャニヤーマ、遺伝子、核を操作してはいけないとあります。政府などが核を操作しようとした時、仏法で禁じられているからやるべきではない、と考えます。2つ目がウートゥニヤーマで気候に関する法で、環境破壊をしてはいけないのです。3つ目が因果律です。4つ目が思考とか意志に関するものです。5つ目が、森羅万象のあらゆることに関する関係性の法です。
この5つの仏法は、人間が決めた法より、圧倒的に優先されるものです。私の思いは、権力ではなく、智慧の力の弘まりが、社会を動かすことにあります。仏法の次に人々の思いがあり、その下位に軍隊など政府の力があるのだと思います。スリランカでは伝統的に、王様の行いが良くなかった場合には、軍のトップがこの王様にNOを突きつけることができましたが、日本でもそういったことをやっても良いのではないでしょうか?
何が正しく、何が間違っているのかということを、仏教の教えに従って判断することが今こそ本当に必要ではないでしょうか。
沼田:信楽先生も臓器移植などの問題ではっきりと発言されてきましたね。NOと。
アリヤラトネ:そうですか!生命を司る仏の法に反していると私は思います。 医学研究的にはできるかもしれないが、死に方を教えることはできない。諸行無常、万物流転などの価値観を教えるのは仏教です。いつか私たちは死ぬということを知ることが、もっとも重要なことだと思います。
沼田:私たちが日本で聞いている仏教と全く同じですね。
アリヤラトネ:スリランカの政府からサルボダヤに医療支援依頼が来ると、看護師などを派遣しています。そこから、メディテーションをしてもらいたいという依頼もあります。
沼田:メディテーションというのは、もちろん坐禅に通じるのですが、真宗のお念仏もそうですね。お称えする称名念仏はそのまま聞名念仏として聞かせていただくということで、メディテーションに近い所があるのではないでしょうか。
信楽:仏教の基本はメディテーションですよね。
アリヤラトネ:42種類のメディテーションがありますので、ニーズに合わせて行えば良いと思います。日本で3万人以上の自殺者がありますが、ビジネスマンや若者向けの瞑想を行っていくことで自殺防止に繋がっていくのではないでしょうか。
沼田:先ごろ、ワシントンDCの惠光寺が30周年を迎えました。そこでは、元々はキリスト教だった方が仏教へ帰依して、念仏メディテーションを行います。念仏をお唱えした後に瞑想を行うそうです。
アリヤラトネ:1996年にマハトマ・ガンディー賞をいただいた時、サルボダヤ本部にメディテーションセンターを作りました。そこには、多くの人が世界中から瞑想を学びに来ます。私は今回の受賞によって、仏教徒だけのためでなく、世界全体のために力を合わせて働いていきたいという、その思いをいっそう強くしました。今回の賞金は、受賞を記念してパゴダ(仏塔)の作製をいたします。その落慶の際にはみなさんおいでください。
信楽:サルボダヤの活動は、仏教の理想的なあり方だと思います。日本でも近世において、広島県系の安芸門徒などは迷信に頼らず水子をつくらず、あらゆる生きものの生命を大切にしたわけで、真宗の教えと生活が一つになっていました。しかし世俗化した近代の中で、仏教が力を失っていった。本来の仏教の力は、スリランカで行われているような姿です。いよいよ世俗化していく社会の中で、仏教がどの様なことができるのか。沼田惠範発願者がおっしゃられたように、変動する社会にあって、個々の人間をどれだけ育てるのか、これが最終的なものだろうと思います。
スリランカの仏教がきっちりと社会に深く関わり人々を指導しているという現状と、日本の仏教の現状が違っていっているという、このような問題を日本の仏教徒はどう受けて立つのか、こういう社会と仏教ということが、私の生涯をかけての課題であり、その生き様だったわけですが、それが若い人々にどう継いでいもらえるのか、今はただそのことを願うばかりです。
沼田:ありがとうございました。世界平和に向けて、仏教を中心に力を合わせたいと思います。
(終)
※この座談会の開催にあたってはアレンジから通訳に至るまで一般社団法人
サルボダヤJAPAN(http://www.sarvodayajapan.org/)の御協力を得ました。
仏教伝道協会は3月18日に、第44回仏教伝道文化賞贈呈式を執り行い、佐久間顕一氏(画家)に仏教伝道文化賞B項を、飛鳥寛栗師(浄土真宗本願寺派善興寺前住職)に仏教伝道功労賞を贈りました。
贈呈式を終えたばかりのお二人を囲んで、これまでの業績を振り返っていただきました。
敬称略
編集=広報企画グループ
佐久間顕一氏(仏教伝道文化賞B項)
大正10年(1921)、京都生まれ。昭和22年に日本のルオーと言われた洋画家の安藤義茂氏に師事し、昼は師の家で絵を学び、夜は夜間高校で数学を教えた。昭和26年から2年間、肺結核が再発して療養所生活を送る。昭和32年、大徳僧堂で小田雪窓老師に参禅。昭和37年、京都の画廊で初めて作品を発表し、昭和39年から2年間、中近東やヨーロッパ、アメリカで美術研究や絵画制作に励む。その間、ニューヨークで個展を開き、パリでは展覧会に出品した。昭和41年に帰国すると、東京・銀座で海外での作品を発表。
昭和42年、鉛筆素描中に自己の満足する顔を発見し、この年の暮れには童子の姿となり、毛筆による制作
が始まると、誰言うとなく「合掌童子」と呼ばれるようになる。
昭和44年以降、自然法爾のもとひたすらに「合掌童子」を描く生活を始め、昭和47年に「合掌童子友の会」が発足した。昭和49年、京都市伏見区日野に「合掌童子の家」が完成し移り住むと、国内外各地で合掌童子展が開かれる。平成13年には、京都・永観堂禅林寺に千体の「合掌童子」を奉納した。
佐久間顕一氏(仏教伝道文化賞B項)
大正10年(1921)、京都生まれ。昭和22年に日本のルオーと言われた洋画家の安藤義茂氏に師事し、昼は師の家で絵を学び、夜は夜間高校で数学を教えた。昭和26年から2年間、肺結核が再発して療養所生活を送る。昭和32年、大徳僧堂で小田雪窓老師に参禅。昭和37年、京都の画廊で初めて作品を発表し、昭和39年から2年間、中近東やヨーロッパ、アメリカで美術研究や絵画制作に励む。その間、ニューヨークで個展を開き、パリでは展覧会に出品した。昭和41年に帰国すると、東京・銀座で海外での作品を発表。
昭和42年、鉛筆素描中に自己の満足する顔を発見し、この年の暮れには童子の姿となり、毛筆による制作が始まると、誰言うとなく「合掌童子」と呼ばれるようになる。
昭和44年以降、自然法爾のもとひたすらに「合掌童子」を描く生活を始め、昭和47年に「合掌童子友の会」が発足した。昭和49年、京都市伏見区日野に「合掌童子の家」が完成し移り住むと、国内外各地で合掌童子展が開かれる。平成13年には、京都・永観堂禅林寺に千体の「合掌童子」を奉納した。
福山:お二人の先生方、ご受賞おめでとうございます。お祝い申し上げます。お二人は、干支でいいますと、一回り以上の方でございますが、大変お元気ですね。飛鳥老師は90歳を超えてもお元気ですから、うらやましくて、恐れ入ります。私はお授戒などで全国各地を訪問しますが、それだけで精一杯です。毎日毎日、今日、これで倒れてしまうのでは無いかと思いながら、勤めております。
沼田: 私は福山理事長と同学年です。お二人は本当にお元気ですよね。
佐久間:私は、飛鳥先生より6歳年下の88歳ですが、ただただ今日の日が無事終了いたしましたことを感謝するのみです。お笑い草ですが、私は酉年なので毎日卵を産まねばなりません。明日からも続けて「合掌童子」を描き続けます。まだまだ仕事をさせていただきたいです。94歳の飛鳥先生にあやかりたいと思います。
福山:そうですね。飛鳥老師は70代に見えるぐらいお元気ですね。
飛鳥:私の下の妹は92歳で、その下の妹が90歳です。おかげさまで、兄弟がそろっております。しかし、いつの間に、この歳になったのか、私には実感が湧かないのでございます。今朝もおかげさまで、起きさせて頂いたのでありますが、そういう朝が来るだけで、いつの間にこんな歳になったのやら、本当にどうも不思議です。
福山:私も長生きしたいと、頭の中では考えているのですが、身体がどうもついていきませんね。
飛鳥:そうですね。身体で動くとなると、なかなか考えた通りにはなりません。自分自身で解ることは、歳を取ると、物事に対する執着が強くなることです。あれも欲しい、これも欲しいという思いが強くなってくるのです。ですから、音楽の楽譜なんかが出たと聞くと、私に一枚送って欲しいと、すぐに手紙なりを書いて手に入れようとしてしまいます。欲の深いことばかりやっているのが、私なんです。
福山:それは特別ですね~。私は普通にしゃべっていても、人の名前が出てこなくなったりして困ることがあります。
飛鳥:北陸の片田舎からでてきましたが、自分の好きなことだけさせてもらったことをありがたいと思っています。それはすべて支えてくれる家族などのおかげです。わがままばかりを言っておりますので、いつまでたっても欲がおさまらないのです。
福山:私は、悠々自適に過ごしたら腐っていってしまうと思っています。お山(大本山永平寺)では、毎朝3時半に起きることになっているものですから良いのですが、7時か8時まで寝たりといった、自由な寝起きをしていたらきっと呆けてしまうと思います。
(中巻に続く)
沼田:今日、佐久間先生の奥さまにお会いして思ったのですが、「合掌童子」の笑顔は、奥様の笑顔に似ておりますね。
佐久間:時々そう言われることがあるのですが、皆さん、純な心を宿しておられる時は等しく「合掌童子」のようなお顔をなさっています。
飛鳥:絵を描いておられますと、紙の中から仏さまが現れてくるような感じがしますね。棟方志功氏は、「紙の中から仏さまが出てきてくださるのだから、私が描いた責任を持てない」というようなことをおっしゃっておられましたね。描いたら描きっぱなしでしたね。
佐久間:昔は「描いてくれ」と頼まれると、少しでも良いものを描こうとして、かえっていいのが生まれませんでしたが、40年余も描き続け、そんなことはなくなりました。
飛鳥:棟方志功氏は、「これはいいな~」と、自分の作品を拝んでいましたね。「これは全部他力さまのお働きだ」と。
佐久間:これまでを振り返りますと、40年という年月は決して長くないですね。あっという間に過ぎてしまいました。これで、あと40年生きられるのなら嬉しいことですが、そうは行きませんからね。この頃では一作一作が遺言みたいなものです。
沼田:絵画の道に進まれたのは、ご両親の影響もあったとお聞きしましたが。
佐久間:私は京都に生まれ京都で育ちました。両親は熱心な仏教徒でした。先祖から父母に伝わり、更に私にと、朝夕、仏に合掌する生活で、その上、父が美術に関係していましたので、幼い頃から、京都や奈良の国宝級の仏さまに親しんできまして、いつしか、自分なりの仏さまを描きたいと願うようになりました。
やがて戦争が終わると、絵の道に進みましたが、最初に師匠にこう言われました。「お前は、世界中で唯一人なんだ。親や兄弟でも、お前に代わることはできない。だから、絵を描くのであれば、お前でなければ描けない絵を描け」と。
しかし、私でなければ描けない絵などすぐには出て来ません。いろいろとやりました。パリでは、完全な抽象作品を描き、それはニューヨークで多くのファンを得まして、一応画家として成功したのですが、その時でも、一方で絶えず菩薩の素描を続けていました。
ファンは、私が顕一ですから「ケンのベビー・ブッダ」と称して、よろこんでくれましたが、私にはまだまだ不満足でした。それが帰国して一年目くらいに、ある日、ふと描けたのです。以来、今日まで毎日、一日も欠かさず描き続けてまいりました。病気で入院した時も、ベッドの上で手帳に鉛筆で描いておりました。
沼田:病床にあっても描き続けるのは並大抵ではありませんね。
佐久間:振り返りますと、ただただ「合掌童子」を描くのみでありました。そして、あとは「合掌童子」が働いてくれました。全国から、「心を救われた」というお便りを頂きます。しかし、私自身が一番救われました。苦しくてたまらない時、「合掌童子」を描くことのみが、私の心の支えでありました。
飛鳥:描かれる瞬間にうれしさを感じるのですか?
佐久間:描いている時は無心ですが、出来上がったのを見ると、どうして自分のような者から、こんな無垢なお顔が現れるのかと不思議に感じ、うれしく思い、感謝します。
沼田:その「合掌童子」を描き続けて、多くの人に仏心を伝えたことから、仏教伝道文化賞B項に選定されたわけです。
佐久間:40年以上も毎日欠かさず描き続けられたのは、これも偏に、仏さまのお慈悲かと思っております。「合掌童子」の働きであり、皆さまのおかげさまであります。
その上、仏教伝道文化賞を頂くなんて、これは誠にもったいないことでございます。この度の受賞は、身にあまることですが、仏さまのおはからいだから、大切にお受けしなければいけないと思いました。
沼田:佐久間先生にとって、仏教とはどのようなものと捉えておられますか。
佐久間:あくまでも純な心で、おのれの使命を果たす。それが仏の教えと思っています。
仏教といえば、私のところも先祖からの宗派を持ち、毎日の読経や仏事のすべてはそれに従っていますが、精神的には、かなり超宗派的なところがあり、若い頃には聖書を読みふけったり、10年以上も京都・大徳寺の僧堂に通いました。
親鸞聖人とのご縁も深く、何も知らずに土地を求めましたら、それが聖人誕生の地と言われる京都・日野の聖人のご廟、誕生院の裏だったのです。今もそこに住んでいます。『歎異抄』は、前十段をいつも暗唱しています。「合掌童子」の背後には、広く、宗教のこころがあると、自分で思っています。
以前、京都の一燈園から依頼されて2回にわたって書いた『合掌童子』を今回、合本いたしました。この度、色紙とともに贈呈式にご出席頂いた皆さまに差し上げましたのでお読み頂ければ幸いです。
沼田:現代社会に対して仏教を伝えようとしたとき、難しい教義よりも、「合掌童子」のような絵画や、音楽の方が理解しやすいことも多いですね。
佐久間:自ら、自分の筆が産む「合掌童子」に、そのつど心打たれ、よろこび、40余年が過ぎました。
私が祖先から受けたように、仏教がほとけの心を人々に伝えることで、安らかな社会が生まれることを信じています。
(下巻に続く)
沼田:飛鳥先生は、音楽を視点に仏教伝道に尽くされてこられましたね。
飛鳥:私が今回認めて頂いた業績は、実は私の業績ではなくて、仏教音楽に関わってみえた先輩諸賢の残された業績の集積によるものです。明治維新前後に開教活動された西洋各国のキリスト教徒からもたらされた「賛美歌」に刺激をうけた仏教徒が、「仏教唱歌」「讃仏歌」の運動を展開し、「節談説教」などの音楽的布教方法からの転用に努めました。以後100年あまり、本格的な洋楽手法による仏教音楽作品が数多く発表されました。その業績があってはじめて成り立つ研究と蒐集に過ぎません。その作品や作曲家方への授賞と思いながら、頂戴しました。
沼田:仏教伝道協会でも仏教音楽祭を行ってきましたが、開催にあたって多大な御協力を頂いており、感謝申し上げる次第です。
飛鳥:1960年前後だったかと思いますが、仏教伝道協会の発願者、沼田惠範前会長様にお会いする機会がありました。その時、話が音楽活動に及び、戦前には「仏教音楽協会」や「日本仏教童謡協会」などが、通仏教の立場で活発に展開されていたが、戦後は経済的にゆとりを得た教団が、宗祖の遠忌法要を厳修する記念に、宗祖顕彰などそれぞれの教団の特色を誇示する大曲講演を競争する形なり、釈尊讃仰や仏教徒共通の仏教讃歌が創作されずに歌われていないのは残念です、と申し上げたことがありました。その後、仏教伝道協会は1977年11月28日に、発願者・沼田惠範師が築地本願寺へパイプオルガンを寄付されて、第一回「東西の出会い」というコンサートが開催されました。それ以来、コンサートは度々開催され、1983年には「世界仏教音楽祭」として公募作品発表公演が開催されました。
当時龍谷大学教授だった山崎昭見先生のご紹介で、飛鳥コレクションの紹介と小論が1989年の「第3回世界仏教音楽祭『釈尊を讃えて』」誌に載りました。また、仏教音楽研究大会も度々開かれまして参加させて頂きました。コンサートは毎回聴きに出かけていました。
沼田:幼少の頃から仏教音楽に接してこられたのですよね。
飛鳥:日曜学校やボーイスカウトの児童と歌い楽しみ、合唱団で共にハモった仲間の歌声の中に、さらに楽しく満たされる曲がないかと尋ね求めて、現在に至ったという次第です。
沼田:仏教音楽の研究・向上・普及に尽くされてきた想いも相当なものですね。
飛鳥:洋楽系の仏教音楽は、まだ一世紀にもならぬ作品群なので、音楽学としての体系も作曲理論の確立もされていないまま、主として仏教的詩歌に作曲家が東洋的または「声明」に依存した歌曲を付して創作された作品群といっても過言ではないと思います。
黛敏郎がなさった梵鐘の音響分析研究や、1966年より始まった国立劇場開場記念公演として開催され続けられている「声明公演」の影響を受けて創作され出した「仏教音楽」が、今大きく働き出しましたが、まだまだ模索の状況といえます。
それなのに、それらの作品も再演される機会が少ないため忘れられ埋もれていますし、原譜の所在も定かでないものが多く、教団の内部ではそれぞれ多用されている歌曲はありますが、仏教界全体としては、資料蒐集や学問的研究を対象とする人材が少ないため、日本の洋楽界では、仏教音楽系音楽とキリスト教系音楽との差は大きく、見おとされているのが実情です。
細々ながら、「仏教音楽コレクション・A」を主宰してきたのは、少しでもこの状況に応えることが出来れば、との思いからでした。
沼田:佐久間先生は仏教と絵画の接点を、飛鳥先生は仏教と音楽の接点から仏教伝道に尽力されてこられ、本当に頭がさがります。
飛鳥:釈尊は悟りを開かれた後、5人の比丘(ビク)に初めて説法をなさいました。初転法輪といわれています。
それ以来、釈尊は生涯、法を話し続けられました。語は音声です。即ち、法を説く、それは音声で十方の衆生に法を届けることです。釈尊の音声説法は、さぞかし衆生には心地よく、ほがらかに聞こえたことでしょう。法音は、本来すでに十方世界に自然快楽音(ジネンケラクオン)として響いていました。金子大栄先生は、仏の浄土は光と音と香りの世界だと申されています。阿弥陀経には浄土の荘厳としての、水のせせらぎや、木々を吹き渡る風の音などが微妙に響き合って法を説き、衆生に悟りと懺悔の境地へと導き、さらに仏・法・僧の三宝を尊ぶ世界、安楽国土が語られていまして、仏法は音楽世界と知られます。お念仏がまさにそうなのです。
沼田:仏教伝道協会も仏教音楽祭を開催することで、仏教音楽のさらなる発展の一助になれればと考えております。
飛鳥:仏教音楽の発展には、仏教音楽の理論を明確にし、洋楽界に市民権を持たなければなりません。宗派や教団のセクトを超えた協力体制をとる運動に展開し、広く数多く公演されて人々の心の奥に仏教音楽を届けるご縁を深めねばなりません。
その為には、埋もれている名曲の再演も大切ですし、新曲の創造努力に尽くすべきです。今、最も求められているのは、「仏教詩」であります。詩と曲は相依相関の関係です。詩人の発掘と協力なくして新曲は生まれ得られぬと申しても過言ではありません。
沼田:宗派を超えて活動する仏教伝道協会の役割はそこにあると考えています。また、そこから現代社会において、仏教はどのような社会貢献ができるかを模索、実践して行くことが必要であると思っています。
飛鳥:情報化社会にあって、人は孤立しても生きてゆけるが如き誤った孤独世界観を深めています。その様な考えは排他的になり、格差社会化を早めてゆくのではないでしょうか。この人間理解の誤解を解き、縁起生の世界観を説く仏教でなくては、共生できる世界は、開けません。真実の仏法を説き、呼びかけることを求められていると、強く自覚し行動するべきです。それは貢献ではなくて、人間に求められている人間への願いでありましょう。
沼田: 最後に、仏教伝道協会に期待することなど、ひと言お願いできますか。
飛鳥:期待ではありません。発願者沼田惠範師の念願のさらなる前進を望むや、切実なるものがあります。
唯々、協会の種々なる菩薩行に関わってくだされてある各位の御精励を念じ、合掌申し上げます。
仏教伝道協会が人間の無明界を照らす燈炬であり続けられますよう、念じ上げております。
佐久間:仏教伝道協会が一層、本当の「仏心」と「美」を、この世に贈って下さるようお願いします。
沼田:ありがとうございました。先生方から頂いたお話をもとに、さらなる仏教伝道活動を行いたいと思います。
この度は、本当にご受賞おめでとうございました。
(終)
仏教伝道協会は3月12日に、第43回仏教伝道文化賞贈呈式を執り行い、奈良康明師に仏教伝道文化賞A項を、稲垣久雄師に仏教伝道功労賞を贈りました。
贈呈式を終えたばかりのお二人を囲んで、大蔵経の英訳事業などの研究成果を振り返っていただくとともに、欧米における仏教の現状や展望、求められる仏教伝道のあり方について語って頂きました。
贈呈式を終えたばかりのお二人を囲んで、これまでの業績を振り返っていただきました。
敬称略
編集=広報企画グループ
奈良康明師(仏教伝道文化賞A項)
31年から35年までカルカッタ大学大学院比較言語学科博士課程に留学。駒澤大学仏教学部教授・学長・総長、曹洞宗総合仏教研究所所長などを歴任。駒澤大学名誉教授。現在、財団法人東方研究会常務理事。曹洞宗法清寺(東京都台東区)住職。東方学術賞(東方研究会)、平成五年、曹洞宗特別奨励賞を受賞。NHKの「宗教の時間」「こころの時代」で司会を務めるなど、釈尊の教えを多くの人に伝える。平成12年、「大蔵経データベース化支援募金会」を組織し、事務局長を務め、日本の学界と仏教界を総動員して、大正新脩大蔵経85巻のデータベース化を完成させる資金を集めた。
著書に『仏教史Ⅰ ― インド・東南アジア』(山川出版社)『釈尊との対話』『原始仏典を読む』(日本放送出版協会)『ブッダから道元へ』(共著、東京書籍)『道元の二十一世紀』(共編著)『観音経講義』(東京書籍)、共著に『禅の世界』(東京書籍)、『ブッダの世界』(共著、学習研究社)等がある。
稲垣久雄師(仏教伝道功労賞)
昭和4年(1929)、神戸市生まれ。神戸外国語大学英米学科卒業。龍谷大学大学院博士課程真宗学専攻修了。ロンドン大学博士課程(東洋・アフリカ学科)に在学し、博士号を取得。龍谷大学教授、退職後名誉教授。沼田仏教講座客員教授としてカリフォルニア大学バークレー校(UCB、1985年)、ハワイ大学マノア校(1989年)、オランダ・ライデン大学(1992年)で仏教を講義。日本印度学仏教学会賞(1941年)を受ける。国際真宗学会創立に伴い事務局長となり、平成5年から同17年まで同学会会長。会長辞任後は名誉会長。龍谷大学に仏典翻訳部が創設されて以来、その中心メンバーとして翻訳出版の任に当たる。本願寺国際センターでの聖典英訳、ポルトガル語訳の事業に参加し、多くの出版に携わる。
主著に『日英仏教語辞典』(永田文昌堂)、『和英禅語グロッサリー』(永田文昌堂)の他、 仏教伝道協会が行う英訳大蔵経事業で『浄土三部経』や『教行信証』を翻訳した。
福山諦法師(仏教伝道協会理事長)
昭和7年、東京生まれ。曹洞宗大本山永平寺貫首。2008年4月から財団法人仏教伝道協会理事長を務める。
沼田智秀師(仏教伝道協会会長)
昭和7年、横浜市生まれ。株式会社ミツトヨ相談役。昭和60年(1985)から仏教伝道協会会長を務める。
沼田:あらためまして、奈良先生、稲垣先生、ご受賞おめでとうございます。仏教伝道文化賞と仏教伝道功労賞は、仏教伝道文化賞選定委員会によって決定されたもので、先生方のご功績については、私からどうこう申し上げることはございませんが、同時に先生方のそれぞれの道に於かれまして、その学問を通して立派に多くの人材を育てて頂いているということが大きなご功績の一つだと思います。もう一つは、先生方が仏教伝道協会の理念、活動にご賛同を頂き、また、常にご協力して頂いておりますことに対して、心より御礼申し上げますと共に、今続けている英訳大蔵経の事業にも大変なご協力をして頂いているということは本当にありがたいことであります。
本日は、先生方の今までのご業績・ご研究を通して今後の伝道協会の活動などについてお話を頂ければと思っております。よろしくお願い致します。
福山:お二人の先生方、ご受賞おめでとうございます。お祝い申し上げます。仏教伝道協会は、沼田智秀会長の父上に当たる発願者・沼田惠範師によって始められた、まことに崇高なる素晴らしい事業だと思います。ですから受賞される方も大変厳選された本当に素晴らしい方々を毎年表彰されているわけであります。本年も、仏教伝道協会の根本精神に則った素晴らしいお二人が受賞されまして、本当に感銘するところでございます。特に、お二人の受賞を説明された方々のお話を、先ほどの贈呈式で拝聴致しまして、我々がまだ知らなかった両先生の功績が表に出まして、改めて感謝や感銘の心を持っております。どうかこれからも益々ご研究、ご精進して頂きたいと思っています。
毎年毎年、いい方がお見えにならないかという推薦の依頼を受けるんですが、私は生活の範囲と申しますか、行動範囲・知識の範囲すべてが狭いものですから、いつも、「私には解りません」という返事を差し上げていたのですが、私の目の前にあると言っては失礼ですが、近くに青山俊董先生、今年はまた奈良先生。奈良先生、稲垣先生共々、遅きに失したような感があります。私は世間が狭いものですから、いつもいつも受賞なさる方を拝見し、こんな素晴らしい方がお見えになったのだと、いつも後手後手を踏んでいるわけであります。そういう目で見ますと、私の身の回りに素晴らしい方がいらっしゃるので、推薦したいと思います。
沼田:大変ありがたいお言葉を頂きまして、ありがとございました。それでは、奈良先生から、仏教伝道文化賞と、大蔵経の英訳事業についてお話を頂戴したいと思います。
奈良:今回、仏教伝道文化賞A項ということで、本当にびっくり致しました。贈呈式でも申し上げましたが、代々の受賞者の方々には、綺羅星の如く大変大きな功績をあげられた方々のお名前がございます。私の師匠の中村元先生のお名前から始まって、本当に私などが仰ぎ見ているような方々がずっと受賞者で名前を連ねています。そうした中に私の名前を加えさせて頂けるということは、本当に感激し、且つ、ありがたいことだと感謝しておりまして、沼田会長先生、福山理事長先生をはじめとする関係者の方々に御礼申し上げたいと思います。
さて、仏教伝道協会が行っております、大正新脩大蔵経の英訳事業についてですけれど、実は私、花山勝友さんが編集委員長をやっていた最初の頃から加えて頂いておりまして、亡くなられた沼田惠範前会長先生のこの事業を行う主旨には大賛成なんですね。つまり大蔵経というのは、非常に教理的なものもある、と同時に、実はかなり一般的な情報というものが、たくさん入っています。仏教は教理だけじゃないと私は思っているわけですが、教理は教理ですけれども、教理というものを支える人間の信仰の生活が底にあるものでしょう。そして人間の生活は様々な形で社会文化と深い関わりを持っています。
大蔵経は、非常に深い教理や哲学のみならず、歴史的なものとか、知識的なもの、生活に関わるものなど、いろいろ入っています。こうしたものを英訳で出すということは、仏教を教理からのみ知っていた欧米の人たちに、もっと広い形で仏教の世界というものを知って頂く非常にいい機会であり、仕事であると私は理解しております。
ただし、実際問題として、学者というのは研究者としての成果にも関わるので、物事を正確に伝えようとします。そうしますと注釈を付けたいなどの問題が起きまして、花山さんが大変困っているのを、そばで見て知っています。それらの問題も乗り越えて、大蔵経英訳の仕事が順調に進んでいるということは、大変結構なことで、是非この仕事は完成させて頂きたいと思っています。
沼田:ありがとうございます。奈良先生は、大正新脩大蔵経のデータベース化の事業にも携わっておられますね。
奈良:ええ。いろいろな経緯があって、江島恵教さんが始めた仕事が経済的理由からストップしかかった。そこで「大蔵経データベース化支援募金会」を発足させて私が事務局長を勤めました。福山禅師さまにも、沼田会長にもご援助いただいています。皆さんのおかげでお金が集まり、データベース化が完成して、有り難いことだと感謝しています。
大蔵経データベース化が完成して、これは漢訳仏典を中心とする仏教研究の方法論をガラッと変えました。今までは、一つのテキストを読んで、いろんな術語やら文章を苦労して片っぱしからカードに取って、それを整理しながら研究していたんですね。そうするとAというテキストに、涅槃なら涅槃という言葉の色々な使い方が出てきて、それを調べる。次のテキストも同じです。つまり、涅槃を調べるには、Aというテキストだけでは済まなくて、他のすべてのテキストに目を通してカードをとらなければならない。
しかし、大蔵経のデータベース化が完成したことによって、一瞬の間に大蔵経のすべての個所にある涅槃なら涅槃という言葉が出てきちゃうんですね。ですから「このテキストは読んでおりません」なんてことが許されなくなってしまいました。資料を取る範囲が広がりました。非常に研究しやすくなったと同時に、大変にもなりました。
つまり、仏教研究というものを広い視野から包括的に勉強できるようになったわけですね。SAT(大藏經テキストデータベース研究会)という大蔵経をデータベース化するにあたって実務を担当した東京大学教授の下田正弘さんと、話したことなんですけれども、このデータベース化というのは、ごく近い将来に英語による研究との関係もでてくるし、そうしますと、仏教伝道協会が行っている大蔵経の英訳というものと、SATのデータベースが国際化版し、ドッキングする形になってくると思うんですね。そういう意味においても、データベース化事業に、どう絡んでも英訳の大蔵経というものがとても大きな意味を持ってくるんではないかと考えています。
沼田:今、お伺いした通り、大正新脩大蔵経という膨大な量をデータベース化したことは、本当に敬服するばかりです。これは偉大な業績として永代に残る功績だと思っております。そのあたりのことも仏教伝道文化賞の選定理由になっているかと思います。本当におめでとうございます。
それでは次に稲垣先生から、仏教伝道功労賞受賞の理由の一つであります、仏典の翻訳の意義について、海外での仏教伝道の経験を踏まえたお話をお伺いできたらと思います。
稲垣:仏教伝道についてですが、私自身が多くの聴衆の前で伝道したということもありますが、多くの場合、国際会議での発表とか翻訳を通じてです。今迄なかった翻訳書を出版するとか、自由な態度でその解説書を書くとか、そういう所から広い意味での伝道が始まっていると思います。伝道者と聞くと、大勢の前で大きな声で話しているような感じがしますが、そういう意味の直接の伝道ではなしに、将来に残るような息の長い伝道を考えています。話を右から左に聞き流して終わるのではなく、聞いて、それを噛みしめてまた子孫に伝えていくということになると、やはり書いたものでないといけないのではと思っております。しかし、それだけではいけないと思いまして、ロンドン大学に在職していた時に人間同士の接触、コンタクトの必要性を感じ、ヨーロッパで仏教を求めている法友が集まるヨーロッパ真宗会議を発足しました。
真宗信者はヨーロッパ各国に散らばっており、皆さんが一堂に会するというのは難しいのですが、一緒に仏教の勉強をしようということからヨーロッパ真宗会議が始まりました。本願寺や国際仏教文化協会の協力を得て二年に一度、開催し、現在も続いています。
これまでの経験で、最近特に感じますことは、聞いたこともない言語で私の著作の翻訳がなされていることです。先日、ブラジルの人から突然本が送られてきました。その本は、1992年にライデン大学で沼田仏教講座を開講する際の記念講演が基となったものでした。私が「親鸞と浄土真宗」という題で40分くらい真宗の話をしたものです。講演後、それが出版され、2、3年もしない間にドイツ語、フランス語といった各国語の翻訳本が出てきました。それをつい最近になって、ブラジルの人がポルトガル語に翻訳したのです。その翻訳をポルトガル語に詳しい本願寺国際センターの研究員に見てもらいましたところ、翻訳がとても素晴らしいということでした。
“素晴らしい人がいるもんだなぁ”と思っていた翌週、ハンガリー語に翻訳された本が届きました。ハンガリー語はぜんぜん解りませんが、とにかく、出版されたことにびっくりしました。
つまり、これら一連の流れはライデン大学の沼田仏教講座で講義したことがきっかけとなっているのです。そう考えますと、やはり書いたものが、ながく残るものであると思っています。
沼田惠範先生が大蔵経翻訳を志された初めの頃を振り返りますと、“そんなもの完成するものか”と、いう人が少なからずおりました。翻訳は非常に難しいし、とても大変な事業であることは分かっていますから、そういう意見の人が多かったのですが、実際、蓋を開けてみると、次々と翻訳本が出版されました。翻訳本として出版されますと、個人研究の他に各大学でテキストとして使います。私も『浄土三部経』の英訳を担当しましたが、出版した何年か後にアメリカのカリフォルニア大学バークレー校の方から、教材に使いたいから再版して欲しいという依頼がありまして、初版でのミスを直して二版を出版してもらいました。ですから翻訳の仕事というのは、永遠の意味を持つものである、と思うわけです。
英訳大蔵経の事業を進める上で、ある先生にお願いしてあっても未完成の原稿もあると思いますので、多くの研究者に相談しながら進めて行くことも必要なことだと思いますね。
(中巻に続く)
沼田:毎年、英訳大蔵経の編集委員会を開催させていただいておりますが、もうすでに各先生方からお預かりしている英訳原稿もあり、もう少し編集のスピードアップをしていきたいと考えております。実は、奈良先生からも『坐禅三昧経』の英訳原稿をお預かりしておりますが、まだ出版できておりません。去年は『正法眼蔵』が出版されましたが、英語ですから海外で本が売れるのは普通の事でしょうが、意外に日本でも漢文の経典だけを読むより、英文も合わせて読んだほうが分かるという声も良く聞きますね。
稲垣:以前、龍谷大学仏教文化研究所の仏典翻訳部で『歎異抄』の英訳を出版しました。それを仏教以外の学部の先生にあげたところ、 “日本語より良くわかる”という感想を多く聞きました。
沼田:英語は非常にすっきりした表現で文章が構成されますから、意味が早く伝わることもあるようですね。
稲垣:ニュアンスとかになると日本語でなければいけないところもたくさんありますが、牧師さんが英訳の『歎異抄』を読んでいらっしゃるという話もあるように、とにかく英語で活字にしておくと読んでくれる人が出てきますね。
沼田:そういった方はたくさんいらっしゃいますね。例えば、上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン博士。この方は、イエズス会の神父さんですが、英訳の『歎異抄』『正法眼蔵』などを読んで、西洋に影響を与えているようです。
稲垣:『正法眼蔵』は、世界中の人が注目しますからね。道元禅師と言うと『正法眼蔵』となりますから。
沼田:禅の世界的な広がりと言えば、アメリカには禅センターが多く設立されていますね。日本の曹洞宗や臨済宗で学んだ方が、母国へ帰って禅センターを設立し運営していらっしゃいます。そうやって仏教が海外に伝わる際、翻訳という仕事が重要となりますね。
稲垣:かつて私は『日英仏教語辞典』を出版しました。それはロンドン大学に在職していた時、海外で出版された本の書評を頼まれたことがきっかけでした。アメリカの学者が様々な日本語の本を翻訳していたのですが、その翻訳が仏教語になると色々な間違いがあったのです。仏教用語の間違いが目立つのですね。それで日本語科の主任のオニールという、能専門の先生に相談し、辞書を作りたいと言うと、手伝ってあげるということになって、始まったのが『日英仏教語辞典』です。これで少しは日本仏教の理解に役立てると思っています。
やはり、言葉というのは大事なもので、これがないと内容の理解ができませんからね。日本で出版したこの辞書の海賊版が出たという話も聞きましたが、とにかく、使ってくれる人が多いのは嬉しいことです。翻訳すること自体、その基となるような用語の説明が大事になると考えています。私の人生の最後の仕事になるかもしれませんが、大きな英語の仏教辞典を出版するつもりで現在取り組んでいます。
沼田:仏教用語の辞典は、研究者だけでなく、仏教を直接伝える基礎となりますね。仏教伝道協会を発願した父が、アメリカへ行きましたころの話ですが、アメリカでは、自分は浄土真宗だ、自分は曹洞宗だ、自分は天台宗だ、などと宗派の話をしてもダメなんですね。仏教は仏教ということで言わないと、通用しないという事実に遭遇致しまして、一つの宗派に固執せずに、超宗派で仏教を伝道する公の機関として仏教伝道協会を設立させて頂いています。各宗派がより一層、宗派として枠を越えて、もっと連携を強めて海外に対して仏教のものの考え方といいますか、お釈迦さまの教えを広めていかなければならないと私自身も考えております。
奈良:外国に伝道するのか、日本に伝道するのかで異なる面もあろうかとは思いますが、基本的には共通の問題があると思います。例えば、鈴木大拙先生がアメリカやヨーロッパに伝えたZEN(禅)は思想と心理学の禅で、その役割はもう終わっているんですよ。
そうじゃなくって、現在は禅センターで坐禅するお坊さんが居ます。アメリカ人の青年を一対一で坐らせて、坐禅堂を作り、本堂を作り、寄宿舎を作って、いわゆる禅センターが出来てくる。1970年代からそうした禅センターがアメリカにおいて曹洞、臨済を問わずできてきたことは、大拙さんがアメリカに蒔いた禅の種が今度は芽をふきだして僧院として具体的に定着してきた時代じゃないかな、と私は考えています。そうしますと、ここから先、日本と同じになってくる面もあると思いますが、信仰の社会性、仏教を実生活に活かすという問題が出てくると思います。私は仏教というのは所詮、生きる道だと思っております。生きていくことのなかに、苦というものを克服しながら、本当の自分というものに出合いつつ、どう生きて行くのか、という“生き方”が仏教でしょう。
そこに自ずと独自の世界観があり、教理や思想が形成され、哲学が発展しています。しかし仏教は絶対に、哲学そのものではありません。仏教という、生きる道の中に哲学はあるけれども、逆じゃない。アメリカにおいてはちょっと違う面がありますが、信仰の社会性と言った時に、現代日本で問題になるのは、仏教というと教理なんですね。ですから、仏教の現代化というと、仏教の教理を易しく現代の言葉で説く、問うことだけなんです。それはたしかに必要だけれど、それだけじゃ駄目だと思います。
仏教の思想とか教理を仏教者が説く時には、教理をいくら易しく説いても、一般社会には入らないと思います。
もし入るとすれば、その説いている人自身が、現代に生きる人間として自信があり、自ずとその人の生き方を見て影響力が及ぼされてくる。それならば布教になると思います。教理理論を説いていても、仏教を現代に布教することにはならないと思っています。
では、それを打破する為にはどうすればよいかということが問題となります。仏教の教えというものは、普通は主語が三人称で、一般論として説かれますよね。例えば、「すべてのものは無常である」、「万物無常」だといいます。これはその通りで、重要な教理ですけれども、この主語を一人称に変える必要があると思うんですね。
「すべてのものが無常だ」ではなく、「私が無常の現実に出会っている」んだと。そういう理解をしますと、途端に無常が単なる思想とか、原理ではなくて、自分を悩ましている現実の問題として、自分の生活に関わってきます。
一般論として、思想として説かれた仏教を現代に出すためには、説く人も、あるいは教団全体も、主語を一人称にして、“私はどうするんだ”という問題にすることによって、現代化してくるのではないかと、そんな風に私は思っています。
沼田:親鸞聖人も一人称で説いておられると思います。「親鸞におきては」とはっきり述べられる場面が、肝要なところで使われておられます。仏教の出発点というのは、「苦悩を抱えた私が今、ここに居る」という所から始まっていますね。仏教というのは私という一人称で受けとめるべきものだと思います。
稲垣:浄土真宗の立場はおっしゃるような所ですね。親鸞聖人の教えはご自身の問題から始まっています。最後まで、自身が悩んでいくというか。自己の問題が中心となって行かなければならないのですね。自分を抜きにして教理だけを、云々ということではないのです。もともと仏教はそういう所から出発しています。
先ほど申しました「親鸞と浄土真宗」のハンガリー語訳をした人から届いた手紙の話をしますと、その翻訳書が、翻訳者本人の癌のお母さんと癌の奥さんに非常に喜ばれたという事が書かれていました。生々しく、つまり、その翻訳は、学問的な興味だけで訳したのではなく、それをそのまま自分の身近な人に伝えているという感じがするわけです。翻訳して出版するということになるまでには相当検討し、自分なりに咀嚼して翻訳するのでしょうから、心がこもっているのですね。ですから私自身も非常に感銘を受けました。
こういう点で法というのは本当に素晴らしいなということを改めて思うわけです。
沼田:法に出遇うということですね。
奈良:人を通じて、法があらわれるというのは基本ですね。禅宗では僧院における修行が中心です。先ほど仏教を一人称で捉えることが必要だと言いましたが、僧院では、指導者が居て、雲水がいて、みんなが同じ仏道修行を目的とする世界に入っていますから、一人称で説こうと三人称で説こうと構わないのですよ。生活の中に信仰が具現されているのですから。
ところが、信仰を現代社会に説くということになると、やっぱり主語を一人称にする必要があります。主語を一人称にするということは、上から、“お釈迦さま曰く”“お祖師さま曰く”と、下ろして来ることじゃないんです。
実は私、大学で仏教学部ではなく一般学部の学生諸君に対する宗教教育の一環としての「仏教と人間」という必修の科目を持っていたんです。毎年経験したことなんですが、「お釈迦さま曰く、お祖師さま曰く」と持ち出しますと、途端にそっぽを向かれてしまいます。ところが、「この間、自分が生んだ子を東京駅のロッカーに放り込んで死なしちゃったお母さんが居ただろう」というと「ウン」と、頷く。秋葉原での事件など、社会にまつわるいろんな例を出していくと、みんな聞きだします。そして、それを「仏教ではこう理解する」「こう見なくちゃいけないんだぞ」と説明すると、ついて来るのですね。かなり、理屈っぽい、「人間とは何ぞや」「自己とは何ぞや」まで持っていってもついてきます。つまり、視点を上から下ろして仏教を説いていったのではダメだと思います。帰納的な形で説かないとダメなんです。
沼田:確かにそうですね。
奈良:私は宗門の伝統の中に居ます。仏教学の伝統の中にいます。その伝統の中に生きていて、外の社会を眺めまして、“仏教はああですよ”、とか、“こうですよ”、と易しくそれを解説しても恐らく入りにくい。
ある時、曹洞宗宗務庁の出版物の編集会議でこう言ったことがあります。「人に仏教を説くには、一端、宗門の伝承の外に出よう。一般の社会の人間の立場に立って、社会に生きている人間が何を悩み、何を考え、何をして欲しいのかということを考える。それから仏教に向き直って説いたらどうだろう」と。
そう言いましたら、若い僧侶に怒られましてね。「一般の人に法を説くのに、なぜ宗門を出なければならないのですか。坊さんを辞めろと言うのですか?」と。そんなことを言っていないのですが、仏教を見る視座を逆転する必要がありはしないか。
例えば、石原慎太郎都知事や、作家の五木寛之さんなどが人生論を書いておられます。それが売れているんですよ。その中身を見ると、内容的には私どもが説いているものと変わらないのですよ。何で私どもの本は売れなくて、石原都知事たちの本が売れるのか。作家の方々ですので、人生経験や知識の幅が広く、そうしたものを踏まえて、しゃべっているから、話が一般的だということもあるのですが、仏教徒の立場として話しているのではなくて、“人間とは何だろうか”、“どういう悩みを持っているのだろうか”、というところから出発して、“こうでなきゃならない”と言っているから説得力があるのだと、私は思っているんです。
福山:実際やっておるものとして、私個人は単純に考えておるんですよ。「お釈迦さまの教えは、人生いかに苦を少なくして楽に過ごすかである」と、言うと誤解があるかもしれませんが、楽しく、心安らかに人生を送る、その教えだと思っています。
(下巻に続く)
沼田:福山理事長がおっしゃられた、抜苦与楽(ばっくよらく)は大切な教えですね。少欲知足(しょうよくちそく)など智慧・慈悲の教えとか、いろんな仏教用語で表わされますが、奈良先生は今の若い人に仏教をどう伝えていますか。
奈良:説明の方法をもう少し考える必要があると思います。例えば、四聖諦(ししょうたい)という言葉があります。苦集滅道(くじゅうめつどう)ですよね。人生は苦なり、苦の原因は欲望である。だから、欲望を滅すると苦もまた滅する。そのための実践が八正道(はっしょうどう)であると。
その通りです。しかし、先日、ある程度漢文を読める外国人と議論していましたら、この滅を、ゼロにするという意味のannihilate(アナイヒレイト)と、本当にゼロにする意味でとるんですね。確かに、滅ということは、「滅する」ということです。だけど、欲望をアナイヒレイト、つまりゼロにするなんてできっこないでしょ。それを欲望を無くせ、と説くから、外国の方に突っ込まれてしまうのです。
そして、日本の若者からも、「仏教では欲望を否定するんですか」という質問が結構出てきます。しかし、そうじゃありません。
ちょっと専門的なことになりますが、苦集滅道の滅というインドの原語は、nirodha(ニローダ)という梵語ですが、これは無くすという意味ではないのです。遮る、ブロックするという意味です。水が流れてくるものを、土か何かで妨げて流れないようにする、というのがニローダの意味です。ですから、欲望をゼロにするんじゃなくて、苦をもたらすような欲望を抑制して、欲望が実際に「ハタラカ」ないようにすることなんです。苦そのものの滅ではなく、苦のハタラキの滅なんです。
沼田:つまり少欲知足ですね。
奈良:ええ。もし少欲知足が、欲望をゼロにするんだったら、少欲も何も無くなってしまいます。そうじゃなくって欲望をしかるべく抑制していくのが少欲なわけです。そこから知足につながります。
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)とか、煩悩(ぼんのう)を滅するとか、私ども僧侶は伝統的に何の疑問もなく使っている言葉ですが、それをそのまま説きますと解ってもらえないと思います。そういう誤解を招く説き方はやめましょう、という本を作っても良いのではないでしょうか。
沼田:その辺りの点は誤解されやすいですね。煩悩をすべて否定してしまったら、生存すらできなくなってしまいますね。
奈良:特に現代社会の若い人に仏教を聞いて欲しいのであれば、その辺りの説き方の方法論をもう少し検討しなければならないと私は思いますね。
沼田:少欲知足は幸せにもつながりますね。知足を知らないと、仏教で言うところの餓鬼(がき)のような心になってしまいます。“まだ足らない、まだ足らない”という考えが基になって、現在の金融危機も発生しているところもあるのではないでしょうか。
そういった仏教の基本的な部分を、どうにかして伝えられないかとの思いもありまして、言葉だけでなく、音楽を通じて仏教を広める活動にも取り組ませて頂いております。
稲垣:先ほどヨーロッパで真宗会議の話をしましたが、そこで帰敬式(ききょうしき)も行うのです。参加した人は、法名(ほうみょう)が貰えたと、喜んで大事にします。10年ほど前の話になりますが、会議の初めに読経をしますが、その時に『六時礼讃(ろくじらいさん)』を選びました。『六時礼讃』は善導大師の『往生礼讃(おうじょうらいさん)』で、浄土教系統では良く使われているのですが、勿論、一般の聴衆にはお経の内容は全然分かりません。ふと気がつきますと、聴衆の中に涙を流して聞いているドイツ人女性がいました。その方と、5年ほどして再会したのですが、その人は、その時の読経の印象をまだ覚えていると言うのです。
仏教伝道協会は、仏教音楽を大切にしておられ、その点も大いに社会に意味のある仕事だと思います。単なる音楽ではなく、古典的な流れのある声明(しょうみょう)は、世界に通用するものです。これは誰が聞いても素晴らしいのではないかと思っています。
沼田:宗教は論理的な面と、感情に訴えるところがありますね。宗教的に感動を与える、それだけで救いが成就すると言っても過言ではない、ご縁によっては宗教体験を得るというものもあるのではないでしょうか。
稲垣:日本では、各宗派それぞれの儀式がありますが、海外では複雑な儀式はありません。先ほどの法名の話ですが、こういった簡単なものも最高の喜びにつながるのです。日本では形式仏教とか、仏教が形骸化したと言われていますが、形式的なものでも外国では生きて使えるのですね。同じものでも、手のひらを返せば非常に大きな伝道の力になっていくのだと思います。
沼田:法華経を中心とした天台宗や日蓮宗、高野山を中心とした真言宗、浄土教の念仏、そして曹洞宗や臨済宗などの禅宗といった、日本仏教は4本の足で立つテーブルのようなものですね。その中で、論理的に一番うるさいの が禅と念仏ではないでしょうか。鈴木大拙先生は禅の方ですが、晩年に『真宗入門』という書物を書かれておられます。また、当協会で研究員もつとめられておられた、坂東性純先生は「道元禅 師のみ教えと、親鸞聖人のみ教えは非常に共通点がある」、とおっしゃっておられました。
坂東先生のご自坊は、報恩寺と言いまして、親鸞聖人二十四輩の第一番目の性信(しょうしん)という、親鸞聖人面授の直弟が開基です。その報恩寺本堂を見ますと、阿弥陀如来と親鸞聖人が並んで安置されているので す。
そして、びっくりすることに、親鸞聖人の手に、禅師さまが持つ払子(ほっす)が握られておられます。その意味について、坂東先生は生前、「親鸞聖人が京都にお住まいの時、間違いなく道 元禅師とお会いになっておられ、その時に頂かれた払子だ」と、おっしゃっておられました。
稲垣:私も坂東先生からその話をお聞きました。道元禅師が親鸞聖人に与えられたと。
沼田:「親鸞聖人は道元禅師のお葬儀にお参りしたのではないか」という話も聞きました。
福山:日蓮さんだけがちょっと年代が違いますが、道元禅師、法然上人、親鸞聖人の三人は同時代ですから、お互いに牽制しあったり、会ったりしていたかも知れませんね。歴史的な事実としては分かりませんが。
稲垣:日本では、禅とか念仏を分けて考えますが、外国では必ずしも分けていませんね。実際に禅と念仏はぜんぜん別なものではなく、重なることが非常に多いです。
沼田:ワシントンD.C.の惠光寺では、念仏メディテーションというものをやられておりますね。椅子に坐ったままですけど、念仏を称えたあとにメディテーションをする。このスタイルがアメリカで受け入れられていると聞いています。
稲垣:私もロンドンの英国真宗協会でもやっておりました。初めにメディテーションを行うのです。坐禅とかいうものではなしに。5分ほど瞑想するのです。そうすると、皆さん落ち着いてよく話を聞いてくれました。メディテーションを宗派として考えると別なニュアンスがありますが、仏陀(ぶつだ)の時代からあるインド人の坐る形ですからね。そういう態度で仏教を聞いて行くことが大事だと感じています。
奈良:私もですね、禅と念仏、入り口はかなり違うんですけれども、一番奥底の所は同じ世界に行くんじゃないかと思っております。端的に言いますとね、お念仏の自然法爾(じねんほうに)の世界で、「私が申すのではない、阿弥陀様の方から申させて頂くお念仏」というのがありますね。それは、坐禅も同じだと私はうけとらせていただいています。
道元さんが、「仏道をならうは自己をならうなり、自己をならうとは自己をわするるなり」とおっしゃいました。これまた英語で直すとフォーゲット・ザ・セルフ (Forget the self) になっちゃいます。ところが、フォーゲット・ザ・セルフって言いますと、セルフはセルフですから、ハカライででっち上げている自我的自己と、本当の自己を区別しません。ですから、フォーゲット・ザ・セルフって言うと、自分の存在がなくなってしまうのか、という疑問が出てくるので、説明が必要になってきます。
しかし、道元禅師がおっしゃった「自己をわするる」という世界。禅師様の前でこんなことを言うのもなんですが、私どもが教えて頂いているその坐禅は、「坐禅をしたら、そこにあらわれているのは自我的な自己ではなくて、自我を離れた仏(ほとけ)としての自己が坐る」わけでしょう。ということは、自然法爾の世界も道元禅師の世界も「自己をわするる世界」でしょうし、そして、坐禅とかお念仏が絶対なる存在の方からおこなわさせて頂いている行(ぎょう)だということでは、同じだと思っているのですが。
私はそれをさらにもう一つ広げて、これは仏教の教理学からいうと乱暴な言い方になるのですが、例えば四諦八正道の中にも定(じょう)があります。六波羅蜜(ろくはらみつ)の中にも定があり、これは禅定(ぜんじょう)のことですよね。それじゃあ、お念仏の信者さんも坐禅をしなくていけないのか、という問題がでてきます。教理的には定は定で、お念仏は禅定ではありません。
しかし、それを、教理ではなく、現代の世界に四諦八正道を活かす、そして、どう理解すれば良いかという信仰の面で言い直して行くならば、その四諦八正道の定は、無我の世界へのチャンネルということで、お念仏と相通じるところがあるのではないかと考えているのです。ただし、教理学として言うと、これは読み過ぎになってしまいますので、そこまでは言いませんけれども、現実の問題としては、お釈迦さんの言ったその行は、無我の世界に入ったうえで教えが入っていく世界だと思っています。
沼田:大乗仏教である以上、宗派を問わず、“自己の我執の殻をいかに破るか”と、いうことがありますので、禅と念仏という視点から、改めて共通点を考えさせられる所ですね。
奈良先生から、仏教学の立場から坐禅のお話がありましたが、実践されておられます禅師様の立場と、仏教学の解釈に違いはございますか?
福山:それはありません。実は、私も若い時は、できたら仏教学者になりたいと思っておりました。努力が足りないのと、もとがなかったということがありまして今、大衆(だいしゅう)を教える立場になりましたが、言葉数が少ないので困っています。「正法眼蔵」をはじめとして、いろいろご開山の教えを皆さんに解りやすいように説こうと思っても、言葉足らずでうまく行かないこともあります。ですから、もう少し勉強しておけば良かったと思っております。今になってつくづく思います。「夕暮れて道を知る」でございますね。
奈良:禅師様のように、お師家さまで、法に同(どう)じながら生きて来られた方の立場とすれば、特に言葉で説明しなくても、むしろ、「全身で法を説く」と言いますし、禅師様がご自分のお言葉でお説き頂くのが一番良いと思います。
問題なのは、むしろ私ども学者の立場です。学者はどうしても理屈が先に立ちましてね。理屈とは論理ですよね。10人いれば10人全員の理屈が違いますから、議論になってしまうのです。そうではなくて、先ほど私が一人称と言ったのは、「理屈っぽいこと言っても、私はこうやって受け止めて生きているんですよ」と、主張するより他ないのじゃないかと、学者の立場からこういうふうに申し上げたいのです。
沼田:論理的な面も仏教であるし、情的な面も非常に大事であるという点から見ますと、禅師様から一言お話を頂けただけでも、ものすごく深い感動を得る方もいらっしゃるでしょうし、反対にいろいろと疑問をどんどんと理論的にぶつけてこられる方には、やはり論理的にお話されないと納得されないこともありますし、両方の面が大切ですね。
福山:毎年、若い雲水(うんすい)が百人ほど上山(じょうざん)してまいります。それぞれが問題を抱え、色々な思いを持って上山しているとは思うのですが、今のところ、そのような個人的な悩みや、考えなどが雲衲衆(うんのうしゅう)と、ぶつかることはありません。しかし、そのうちにぶつかって問題になるのではないかと思っているのです。そうした場合に言葉足らずになることを今から恐れております。僧堂には西堂(せいどう)、後堂(ごどう)、単頭(たんとう)という雲衲(うんのう)を指導する係がおりますから、私自身があまり難しいことを言わない方が良いとも思っています。
先ほども言いましたが、私自身、仏教学者になりたいと一生懸命勉強していました。でも、永平寺で坐禅していますとね、今まで一生懸命に仏教の言葉を覚えていたのに、只(ただ)坐れ、不立文字(ふりゅうもんじ)で文字など要らないと言われ、“180度、逆の方向へ進んでいるのではないか”という疑問を随分もちました。今の若い人も、そういう疑問を持っている人が随分いるのではないかと思います。
奈良:昔からのように、とにかく文句を言わずにただ坐って、僧院の清規(しんぎ)に従って修行しろというのは非常に重要だと思います。それがないと、身体から入ってくるものが無くなってしまいます。本当に、頭から入った理論というのは理論でしかないので、実際にどう生きていくのか、っていうことには関わってこないんです。ですから、これが仏様の生きる道、これが本当の自分に出会う道だ、として僧院で叩き込まれてきた生き方として、押し通して行くほうが首尾一貫するだろうと私は思いますね。
人間は理屈っぽい者ですし、その人が熱心な修行者なら、理屈は後から自分でどうにでも探ってくるものでしょう。しかし体験がないと何も出てこない。
沼田:奈良先生がおっしゃる一人称は、“この身”ということですね。身から入っていく仏教ですね。浄土真宗だけでなく、どの宗派でもお称えいたします「この身、今生(こんじょう)に向かって度せずんば、さらに何れの生に向かってかこの身を度せん」という、“この身”としての立場が、仏教を聞く上でも、伝える上でも大切なことだと思いますね。
それでは最後に、仏教伝道協会に求められる役割をお伝え願えればありがたいと思います。
奈良:実践的にやられていることは重要なことだと思います。そこで、法を説く時に伝統的な言い方をもうちょっと検討して、例えば先ほど申しましたように、 “「滅」というのは無くすという意味じゃなくて、越えることなんだよ”と、言い方を変えるというのは、説明する技術の問題なので、これは比較的簡単にできるのではないかと思います。重要なものだけで、2,30はすぐに出ます。そうしたものを研究していく研究会作っていただいて、出版して頂けたらずいぶん説き良くなると思います。
沼田:ありがとうございます。では、稲垣先生お願いいたします。
稲垣:ヨーロッパ真宗会議を何回かドイツの惠光寺で開催したのですが、本当に素晴らしい寺院です。ドイツ惠光寺をヨーロッパにおける仏教伝道の中心地として、さらに布教活動を続けていただきたいと思います。一つの案として、仏教音楽などを用いて、説明よりもまずは実践、体験するという態度で、いろいろな機会を西洋人に遠慮なく与えていただくと効果があると思います。
沼田:本日は貴重なご意見を賜りましてありがとうございました。今後とも、ご支援、ご指導のほどよろしくお願いいたします。