先日「VOL.7からVOL.10までの執筆を頼む」といううれしいメールをいただき、この連載を久しぶりに再開することになりました。再びお付き合いをいただければ幸いです。
さて、最終回のつもりで2020年の初めに書いていた「VOL.06変わること」で、私は18年のあいだ住職を務めた安泰寺を引退することについて書きました。中村恵光という、私をはるかに超える弟子が安泰寺で育っていたので、バトンタッチをした彼女の指導の下で叢林が大いに発展することに期待しているところです。私自身はそのご活躍の拠点を大阪に移し、20年前に大阪城公園の中で「ホームレス雲水」として過ごした場所の近くで日曜日に「流転会」と称して野外坐禅会と仏教の勉強会を開きました。そのほかにはお寺で法話をしたり、文化センターで講義をしたり、気が向いたら街で托鉢でもしようと当初は考えていたのですが、そうは問屋が卸さなかったのです。
皆さんもご存じの通り、私があの「最終回」を書き上げた2020年の初めのまさにそのとき、「コロナ禍」が急に世界を変えてしまいました。あらゆる法話や講義がキャンセルとなり、坐禅会や勉強会もオンラインに切り替えなければなりませんでした。もちろん、大都会ではいまや托鉢ができるような雰囲気ではありません。企画していたドイツへの帰国も二回ほど延期し、いつかなうのも全く見通しがついていません。しかしその影響で、リアルの世界でお目にかかることのなかった多くの方々とズーム会議でともに学ぶこともでき、毎日ユーチューブで禅の話を世界に向けて発信できたのも事実です。
その私は最近、コロナを世間でいう「禍」よりも「仏」として受け止めるようになりました。「コロナ仏」に見つめられ、問われ、全否定される私はそのおかげで自分の甘さ、欲深さ、愚かさの自覚を少し深めることができたのではないかと思っています。その「禍」の収束を願いながらも、この凡夫の都合を全く通用させない「仏」としてのコロナの前で最初は開き直って家に引きこもったもの、そのうちは「どうしようもないことを、何とかしようとする」自分のみじめな姿に気づいたのです。
そこで私の心の支えとなっているお言葉を紹介したいと思います。
「知るべし、行を迷中に立てて、証を覚前に獲ることを」
鎌倉時代の道元禅師の『学道用心集』の中のお言葉です。「証」と「覚」という二つの字は、どちらも悟りを意味します。つまり、「証を覚前に獲る」とは悟る前にすでに悟っちゃっているということです。迷いを自覚できるのは、最初から悟りに包まれているからです。現代語訳を試してみたいと思います。
「大事な話がある。今の迷いの中にこそ、修行をしようという志が立てられる。あなたはまだ気づいていないだろうが、その志はあなたの本来の存在(証)に裏付けられているのだ」
その同じ『学道用心集』のややあとには、道元禅師はこういうふうにも語っています。
「参学の人、且く半迷にして始めて得たり、全迷にして辞すること莫れ」
現存する『学道用心集』のもっとも古い文献に見られる「半迷・全迷」というのが、実は「半途・全途」の誤字であるというのが曹洞宗の宗学の通説となっているようです。なるほど、そうするとこの一文には「仏道を目指すものは、修行の途中で初めて気づくものがあって、その道を全うした時でも実践を辞めてはいけない」という大事な教えが込められていることになりますね。
しかし私にはどうも、ここの「迷」という字が「途」の誤字だとは思えません。私が今、こうしてうろたえているからこそ初めて裸の自分を自覚しています。その自覚がいよいよ「全迷の凡夫」まで深まれば仏道を求める気持ちはやむには辞められないのではないでしょうか。
何らかの躓(たまづ)きがあって、人は初めて本気で仏道を求めるのではないでしょうか。迷いがなければ、自分のありようを問うことはないからです。自分のありようを本気で問うたまさにその時、私は「仏」に見つめられていると感じます。大いに迷わなければ、悟ることはない。ちゃんと悟っているからこそ、安心して迷えるのです。今日も托鉢は止めた方がいいよな。今週の坐禅会と勉強会、どうしよう?
安泰寺前住職。1968 年のドイツに生まれ、16 才のときに高校のサークルで坐禅と出合う。将来禅僧になることを夢見て、大学で哲学と日本学を専攻、在学中に1年間日本に留学する。安泰寺に上山し、半年間の修行体験を得る。帰国後に大学を修士課程で卒業し、再び安泰寺に入門。八代目の住職、宮浦信雄老師の弟子となる。33才のときに、独立した禅道場を開くために下山。
2001年、大阪城公園で「流転会」と称してホームレス雲水生活を開始するが、6ヶ月後に師匠の訃報を聞き、テントをたたんで山に戻って安泰寺の九代目住職となる。 2020年に引退し、今は大阪を拠点に坐禅会や講演活動を行なっている。