名僧は語る

2.慈悲

信楽峻麿(しがらき たかまろ)浄土真宗本願寺派

信楽峻麿
(しがらき たかまろ)
浄土真宗本願寺派

信楽峻麿(しがらき たかまろ、1926年 - 2014年)浄土真宗本願寺派僧侶。龍谷大学名誉教授。龍谷大学学長。仏教伝道協会理事長。

「眼を開けばどこにでも教えはある」

 この教言は、『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』の経文で、道を求める志願が強ければ、日常の生活のただ中において、何かを縁として深く教えられることがある、ということを明かしたものです。そういうことは、誰でも経験することでしょうが、いまはかつての経験をもうしてみたいと思います。

 私が若い頃、ある夏の日に、子供をつれて三重県の鳥羽海岸に遊びにいった時、御木本(みきもと)真珠養殖場を見学いたしました。そしてはじめて真珠が誕生するまでの仕組みを知りました。

 それによると、おおきく成長した真珠の母貝、アコヤ貝を海から引き上げて、その貝の殻を少しだけこじあけ、その中に小さな石粒のようなもの(真珠核)を入れます。

 そしてその貝を籠に入れて再び海に戻します。アコヤ貝にしてみれば、たまったものではありません。動くたびに、中の核が動いて柔かい内蔵にあたります。どんなにか痛いことでしょう。

 そこでこの貝は、その痛みをやわらげるために、いままで自分の殻を大きくするために廻していた成分を、この小粒の核に巻きつけるのです。

 自分の生命を削って、この核を自分と同じ体質にしようとするわけです。そしてやがて幾年かたったのちに誕生するのが真珠です。だから真珠とは、その母貝の大きな痛み、その熱い涙の結晶として生まれてきたものです。

 私はこのような真珠が誕生するまでの話をききながら、仏の慈悲の教言を思い出しました。この慈悲とは、原語では、慈とはマイトリーといい、切っても切れない深い繋がりのことであり、悲とはカルナーといって悲しむこと、うめ呻くことを意味します。

 仏とは、十方の衆生、生きとし生けるものを、切っても切れない繋がりをもつものとして、いかなる異質のものも、どれほど叛(そむ)くものであっても、いつかは必ず自分と同じ仏にまで育て上げたいと願い、つねに深い繋がりをもったものとして包みこみ、かたときも離さない心、大慈の心をもち、またそのためにこそ、いつもその異質のもの、叛くものを包みこんで、大きな慈しみの心、大きな呻きの声をもらしているというのです。

 真珠の母貝が小石(真珠核)を抱いて呻いているとは、まさしくこのような仏の慈悲の心に、そっくり重なる話です。その母貝のような核が私です。その母貝が呻きながら、その核を真珠にまで育てあげるのが、仏の大慈大悲の働きにほかなりません。

 私は改めて、この真珠の母貝の痛みを思いながら、仏の慈悲の教えに、深く同感し、教えられたことでありました。

 そしてまた、私が若い頃、大学の教員であった時、大学の宗教部から依頼されて、その機関紙に一文を書いたことがありました。私はそこで、私にとっての仏法、念仏の教えとは、ちょうど靴の中に入った小石みたいなものだ、ということを語りました。

 私の少年時代、昔の田舎道は、舗装されていませんでしたので、道を歩いていると、よく小さな石粒が靴の中に入ってきたものです。すると、時々その小石が足の裏にあたり、チカッと刺して痛いわけです。

 私にとって、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えというものは、ちょうどそんな靴の中の小石のようなものです。人生を生きていると、時々その教えが、私の胸に厳しく刺さって、痛みを感じることがあります。靴の中の小石なら、ちょっと立ちどまってその石を出せばよいのですが、この親鸞聖人の教えの痛みは出すわけにはまいりません。

 どんなに痛くても、じっと耐えて歩くほかはありません。しかしまた、私はその教えの痛みをとおしてこそ、私の人生を曲がりなりにも、よくここまで歩いてこられたと思うことです。

 そして、これからもまた、この靴の中の小石、親鸞聖人の教えを大切に生きていこうと思っています、ということを書きました。

 当時の学生さんが、この私の文章を、どれほど読んでくれたかは分かりませんが、その文章をめぐって、当時の大学の経済学部のT教授から手紙をいただきました。この教授は、もとは京都大学の教授で、日本経済学会ではとても著名な方でありましたが、定年退官後に、龍谷大学に勤務していただいていた方でした。

 その手紙によりますと、先生は若い頃から親鸞聖人の生き方に魅力をおぼえ、自己流に親鸞聖人について学ばれていたようです。

 そこで、この私の文章を読んで深く感銘した、私が若い頃から胸に描いていた親鸞像と、この靴の中の小石という、あなたの親鸞像がピタリと一致した。私はまったくの素人であるが、専門のあなたの理解と同じであったことを嬉しく思い、こうして感謝の手紙を差し上げる、ということでした。

 まだ若かった私は、たいへん恐縮したことでありましたが、まったくの素人だといわれながら、親鸞聖人の思想、その生きざまの本質を、まことに的確に理解されていることに、深い敬意を表したことであります。

 なおそのことがあった後まもなくして、新聞の人物評伝の中で、このT教授が写真入りで大きく取りあげられ、先生の学問業績に対して、政府がいろいろと勲章その他をもって表彰しようとしたが、先生は、私は自分が勝手に好んで学問し、また学生を教えることが無上の楽しみだから、この道を歩んできたわけで、国から褒められる理由などさらさらないと、堅く固辞して、なんの栄誉も受けられなかった。T教授とは、そういう人柄であると書かれておりました。

 私はこの記事を拝見して、さもありなんと思い、このT教授を、いっそう尊敬するようになったことです。このことは、私の若い頃の忘れがたい思い出であります。

 私は、仏法を学び、念仏の道を生きていくということは、生まれたままの私、地獄や餓鬼(がき)や畜生(ちくしょう)の生命を生きている私と、仏法、念仏によってこれまでに育てられた私、浄土、仏の生命を生きる私との、まったく矛盾し背反する二人の私の、両者の闘いに生きるということでもあると思います。

 その日々の闘いにおいては、いつも生まれたままの私が勝ってしまうような、まことにお粗末な私の人生生活でしかありませんが、それでもなお、私の人生は、今もなお、その両者の闘いとして続いているわけです。

 そしてこのような具体的な実感というものは、書物をとおして学ぶというよりも、私たちの日常生活のただ中で、いろいろと経験され、思いあたることでありまして、仏教を学ぶものは、心して生きているならば、それぞれにおいて、そういうような経験を、いろいろともつことができるでありましょう。