名僧は語る

6.修行について

宮坂宥勝(みやさか ゆうしょう)真言宗智山派

宮坂宥勝
(みやさか ゆうしょう)
真言宗智山派

宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年 - 2011年)真言宗僧侶、名古屋大学名誉教授、真言宗智山派管長・総本山智積院化主。1996年、勲四等瑞宝章受章。同年、仏教伝道文化賞受賞。

 修行というのは文字通り行を修めることで、くりかえしくりかえし行うところに、修行の本義があります。一回や二回行っただけでは修行にはならないわけです。

 ふつう、「修行」といえば、苦しいこと、つらいことのように受取られます。だが、また「何ごとも修行だ」とか「修行だと思ってやればいい」という言葉のニュアンスには何かしら、釈尊が六年間苦行をつまれたという歴史の事実がふくまれているように感じられます。

 思えば、私たちの一生は修行であるといえるでしょう。それは行きつくことのない無限修行であり、この世を去って初めて完結される修行であります。

  旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

 よく知られた芭蕉の辞世の句です。もっとも芭蕉は、一句、一句が辞世だと生前いっていますが、人の一生はまさに旅にたとえられるわけです。

 人生の旅は修行そのものです。峨々(がが)とそびえたつ山もあれば、超えがたいような河もあります。むしろ平坦な道は少ないといったほうがよいかもしれません。楽しいことよりもつらい、苦しいことのほうが多いようにさえ思われます。

 ルパング島から生還した小野田寛郎(おのだひろお)さんが、三十年の間にうれしいことは何でしたかという質問に対して、「この三十年間、うれしいことなどひとつもありませんでした」と言った言葉には深く心打たれました。しかし、考えてみると、それは各人それぞれ程度の差こそあれ、やはり、わたしたちもジャングル生活とあまり変わりのないような日々を送っているのかもしれません。

  花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき 林芙美子(ふみこ)

 苦しく、つらいことのほうが多いだけに、いっそう「人生は修行」という言葉が身にしみて感じられます。

 釈尊の後半生はもとより一所不住で、教化の旅をつづけられながら、旅の途中、クシナガラで入滅されました、わが国でも放浪の旅をつづけた、いわゆる遊行僧は決して少なくありません。

  ねがはくは花のもとにて春死なむ
         そのきさらぎの望月のころ

という西行の歌は日本人であれば誰でも共感することのできる境地でしょう。西行はやはり遊行の生涯のあいだにすぐれた多くの和歌を残していますが、この歌はさとりの境地へのあこがれともいえます。

 「旅は旅すること自体が目的である」と、ゲーテが言っています。目的地に達するプロセス自体が目的であるというのは、私たちの生涯の歩みに限りなく深い意味を与えてくれます。散歩する場合に、その一歩一歩あゆむ散歩という行為自体が散歩の目的だというたとえも同じであります。

 だからまた、さとりをもとめる心がおこったときには、すでにある意味でさとりの世界に入った状態だといえますから、それを「発心即到(ほっしんそくとう)」(発心すれば、すなわち到る)といっています。

 室町時代の世阿弥は能を大成した人で、『花鏡(はなかがみ)』という書物を残しています。

 これは能の心得を説いているものですが、その中で「初心忘るべからず」といっています。

 少年のころに初舞台を踏みます。そのときの心くばりを生涯忘れぬようにつとめなければならない、というのです。

 禅のほうでは「悟後(ごご)の悟り」ということをいいます。悟りのうえにも悟りを重ねてゆくところに修行の本義があるというのでしょうが、これは人生の万般(ばんぱん)に通じることです。

 仏語に頓悟(とんご)とか頓覚成仏(とんがくじょうぶつ)という言葉があります。ある日、突然に目の前がパッと開けたように、あるいは竹を割るかのように、スパッとさとるといったように受け取られています。

 文字どおりに解すると、たしかにそのとおりの意味だと思います。

 しかし、ではその境地に達すれば修行の必要がないかといえば、むしろますます修行が必要とされるわけです。

 さとりというものは決して険峻な山岳の頂上の一点のようなものではなく、修行のひとつひとつがさとりの世界につながっており、そうした修行の積み重なりそのものがさとりであるといわなければなりません。

 釈尊が三十五歳で成道(じょうどう)して仏陀となられたのは、この世の生涯における修行だけではなく、限りない過世去(かこせ)からくりかえされた結果であるという信仰があります。

 このように数限りない修行は過去世から積まれたもので、その報いとして仏陀になったのだという考え方を「報身仏(ほうじんぶつ)」といいます。

 こうした信仰が形成されたうらには、修行というのが一朝一夕に成就するものではないという考えがひめられていることはいうまでもありません。

 また、釈尊はあらゆる生きとしいけるものが計りしれない苦相(くそう)に沈んでいるありさまを洞察する三明(さんみょう)の智慧を得られて、ついにさとりに到達されたというのは、やがて成道後に釈尊のさとりの智慧が生けるものすべてに対する救いと導きとの慈悲のはたらきとなってあらわれていることと無関係ではありません。

 さとりの世界がおのれひとりのものではなく、生きとし生けるものへの限りない慈悲のかたちをとるところに、大乗仏教の極致が認められます。

 釈尊のさとりの智慧は衆生愛のはたらきそのものとして顕現(けんげん)しているのです。

 もし梵天勧請(ぼんてんかんじょう)を受けることなく釈尊がそのまま入滅されたならば、仏教はおそらく単なる智慧の哲学にとどまったかもしれません。

 何ものをも大きくあたたかくつつみこんでいる慈悲にあふれた釈尊の姿を仰ぐとき、私たちは生きた血のかよっている修行の果報ともいうべきものを感じないではいられません。