2026年用「一日一訓カレンダー」(2025年8月刊行)に掲載する写真を公募します。
今年で11回目となるフォトコンテストですが、前回の入選作品は、築地本願寺(東京)、平等院(京都)、瑞巌寺(宮城)の三会場で展示され、多くの方にご覧いただきました。
このカレンダーは日めくりとして仏教にちなんだ31の文言と写真により構成され、全国の寺院、海外を含め、毎年約12万部を頒布し、好評を得ています。仏典のことばや各宗祖のことばを各人が味わい、写真として表現していく中で、自然と仏教に親しみや関心を持っていただければ幸いです。どなたでも応募可能ですので、是非ご参加ください。応募票はこちら
2024年1月 | 公募を開始 |
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2024年8月31日(土) 必着 | 公募締め切り |
2024年9月 | 選考委員会 |
2024年10月 | 入選報告 |
2024年11月 | 入選作品発表(当協会ホームページにて) |
2025年8月 | 「2026年用カレンダー」を刊行予定 |
どなたでもご参加いただけます。制限はございません。
◆2026年用『一日一訓カレンダー』の各文言にあう写真 ※横位置カラー(5MB以上)
一人4点
◆表紙採用: テーマ「智慧(ちえ)~道理を見極める~」※縦位置カラー(5MB以上)
一人1点まで
自然風景、動・植物や花等のネイチャーフォト、工芸品等の静物、抽象写真
※人物不可、ドローン撮影不可
◇ 一人4点(表紙写真も応募する場合は5点)までご応募いただけます。4つの文言に対し1枚ずつ、1つの文言に対し4枚、どちらでも結構です。文言の解説はこちらより
※他のコンテストなどに応募中や応募予定である作品、または過去に入賞した作品は応募できません。
※応募した写真が別の文言で入選する場合もございますので、予めご了承ください。
◇ キャビネサイズ(127mm×178mm/2L判に相当)にプリントしたものを封筒等に入れ、郵便または宅配便にて当協会までお送りください。
◇ データ(メール、CD-R等)では受け付けていません。必ずプリントしてください。
◇ 応募票に必要事項を記入の上、作品裏に天地が判るようテープ等で貼付しご応募ください。
応募作品の返却は致しません。審査後、当協会の「個人情報管理規程」に沿って処分致します。
2024年8月31日(土)必着
〒108-0014 東京都港区芝4-3-14 公益財団法人 仏教伝道協会 フォトコンテスト係
電話 03-3455-5851 平日 10:00-17:00
※選考経過、審査等に関するお問い合わせにはお答えできません。
当協会「フォトカレンダー選考委員会」にて選出。
審査員:丸林正則氏(写真家)・杉全泰氏(写真家)・金子美智子氏(写真家)・楳村修治氏(写真家)
表紙採用: 賞金10万円×1名
入選: 賞金5万円×31名
※入選通知は電話または郵送にてお知らせします。
コンテストの結果は、当協会のホームページ(2024年11月)に掲載します。
◇ 入選作品はデジタルデータ(5MB以上)を提出していただきます。また原版(加工前のオリジナルデータ)を提出していただく場合があります。返却は致しませんので、コピーを保存してご提出ください。
◇ 入選作品の著作権は撮影者に、版権は当協会に帰属します。当協会は入選作品を無償で使用する権利を有します。
◇ 入選作品は主に以下の目的で使用します。当協会刊行の「一日一訓カレンダー」への掲載。新聞・雑誌広告、ポスターなどの印刷物、またホームページなどのwebコンテンツとしての二次利用など。また当協会の裁量で撮影者の氏名を表示したり、トリミング等の加工を行う場合があります。
個人・法人が所有・管理、あるいは権利を保有する被写体が含まれる場合、その被写体の権利所有者に承諾をいただいてください。他人の著作権、肖像権等を侵害するような行為が行われた場合、それに関するトラブルの責任は一切負いかねます。また、そのような作品の入選が判明した場合は、入選を取り消しさせていただく場合がございます。また応募作品は応募者本人が撮影し、全ての著作権を有しているものに限ります。他人の名前を使用した場合は失格になります。
入選・落選を問わず、取得した個人情報については、カレンダーフォトコンテストの事業運営およびそれに関わる目的にのみ使用し、他の目的には使用致しません。公益財団法人仏教伝道協会の個人情報の取扱いに関する詳細については、当協会ホームページ「個人情報保護に関する基本方針」、「個人情報の利用目的」をご参照頂きますようお願い申し上げます。
事物の実相を照らし、惑いを断って、さとりを完成するはたらき。物事を正しくとらえ、真理を見きわめる認識力。叡智(英知)。真実の智慧。
(中村元『縮刷版 仏教語大辞典』岩波書店,1987年,p.950.)
出典:ことわざ
「一年の計は春にあり、一日の計は晨にあり」とされる。一年間の計画は元旦に立て、物事は始めにしっかりとした計画をもって当たれという意。
(時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』2016年,p.57.)
出典:『四十二章経』
仏言く、博く聞いて道を愛すれば、道必ず會い難し。志を守って道を奉ずれば、其の道甚だ大なり。
(得能文『仏説四十二章経 仏遺教経』岩波書店,2015年,pp27-29.)
出典:『仏教聖典』
人びとは気に入ったものの姿を見聞きしては正しく思い、気に入らないものの姿を見ては慈しみの心を養い、常に正しく考えて、この三つの火を消さなければならない。もしも、人びとが正しく、清く、無私の心に満ちているならば、煩悩によって惑わされることはない。
(『和英対照仏教聖典』p.165)
出典:『塩鉄論』
口で言うのはたやすいが、それを実行するのはむずかしい。言うと行うとは別問題。
(『故事俗事 ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.64.)
出典:『語録』
茶会における主人と客人との出会いは、その時その時の出会いであり、二度と同じ出会いはないと言う意味。たとえ、同じ茶室で同じ主人と同じ客人が出会っても、それはかつての出会いとは同じではない。
(『みちしるべ─八正道シリーズ 正業─ 正しい行い』公益財団法人 仏教伝道協会,2016年,p.66)
出典:『虚堂録』
雲は静かに流れて太陽と月とがそろって輝き、雪が消え去って天地いっぱいの春が訪れた。修行の成果によって心を覆う煩悩妄想がすべて消え去り、悟りの心が輝き出すさまの比喩。
(朝山一玄『茶席の禅語句集』淡交社,2003年,pp.292-293.)
出典:『仏教聖典』
立場の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。
(『和英対照仏教聖典』p.191)
出典:『永平広録』
私たちの毎日の生活は、眼から、耳から、口から、食べることから、たくさんの刺激が自分の中に入ってくる。その欲求を受け止めるのは私たちの体に備わっている。特別に何か頼んだりしなくても素晴らしい働きをしているものが備わっている。外に何かを求めるのではなく自分の働きの素晴らしさそのものを味わおう。眼は横に、鼻は真っ直ぐ。そのままの姿がありがたい。
(『心がまあるくなる禅の教え 生きる力をくれる禅の心』建長寺派布教師会,2009年,pp.120-123.)
出典:『鶴林玉露』
わずかな水のしたたりでも、絶え間なく落ちれば、かたい石にも穴をあける。些細な物事でも、続ければ大きな結果をおよぼすたとえ。
(『故事俗事 ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.615.)
出典:『仏教聖典』
今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。
(『和英対照仏教聖典』p.379)
出典:『仏教聖典』
釈尊はさとりへの道を行くにあたって成し難い二十の難事を挙げているが、その一つに「心をいつも平らかに保つ」ことを挙げられている。さとりへの道は日々の丹精にあり、不断の精進によって心を平らかに保つことがさとりへの道を行くことなのだと釈尊は示されている。
(『みちしるべ─八正道シリーズ 正念─ 正しい念い』公益財団法人 仏教伝道協会,2018年,pp.142-143.)
出典:『永平大清規』
食法そのままがそっくり実相の諸法である。好き嫌いがあっても、それにとらわれることなく、かわることなく、必要に応じて質量ともに調和のとれた食事をただ行うことである。
(奈良康明『仏教名言辞典』東京書籍,2005年,pp.80-81)
出典:『ささめごと』
言葉は使う人の心の反映なのだから、心に思っていることは言葉にあらわれてくるもので、言葉を聞けばそれを発した人の胸の内をはかることができる。言葉が心に沁みるのも、不安になるのも、棘のように鋭く突き刺さるのも使う人の心がそこにきっちり裏打ちされているからなのである。
(『みちしるべ─八正道シリーズ 正念─ 正しい念い』公益財団法人 仏教伝道協会,2018年,p.16)
出典:『仏教聖典』
これはわが子、これはわが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。おのれさえ、おのれのものでないのに、どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。
(『和英対照仏教聖典』p.367-369)
出典:『碧巌録』
夜が明けて日が暮れるのは決まったこと。そうかと言って、明くる日は十六日だ、というのは甚だよくない。月日は流れるようだ。
(『口語訳 碧巌録』宗教法人 釈迦牟尼会,2006年,p.29)
出典:ことわざ
伝統に立脚した上で、新しく現代を認識するということ。かつて学んだことを改めて吟味・復習した上で、それに基づいて新しい知識や道理を見出してゆくことを言う。
(時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』2016年,p.535.)
出典:『法華経』
あるとき、世尊はラージャグリハのグリドラクータ山(霊鷲山)に千二百人の比丘の大集団と一緒におられた。(中略)また、そこには八万の菩薩たちが同席していた。(中略)幾百・千という多くの仏陀に讃えられ、身も心も慈愛にあふれ、如来の知を理解するのに巧みであり、大知恵者であり、知恵の完成(般若波羅蜜)に熟達し、幾百・千もの世界にその名が知れわたり、幾百・千・コーティ・ナユタの多くの生命あるものの救い手である。
(松濤誠廉・長尾雅人・丹治昭義『大乗仏典 第四巻 法華経I』中央公論社,1978年,pp7-8.)
出典:ことわざ
変わったことがあっても落ち着きはらって自然のままであること。落ち着いて物事に動じないさま。
(『故事俗事 ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.690.)
出典:『大般涅槃経』
この世の一切は無情であって、すべては一瞬として留まることなく流れている。生があれば必ず滅がある。これが一切の法を貫く真理である。
(『みちしるべ 名講話選─ じひ』公益財団法人 仏教伝道協会,2016年,p.139.)
出典:『仏教聖典』
まことに、この世は、さまざまの火に焼かれている。貪りの火、瞋りの火、愚かさの火、生・老・病・死の火、憂い・悲しみ・苦しみ・悶えの火、さまざまの火によって炎炎と燃えあがっている。これらの煩悩の火はおのれを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を身・口・意の三つの悪い行為に導くことになる。しかも、これらの火によってできた傷口のうみは触れたものを毒し、悪道に陥れる。
(『和英対照仏教聖典』pp.163-165)
出典:ことわざ
(1)原因なくして結果はありえないこと。(2)何もしないでよい結果を期待しても叶わないというたとえ。
(時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』2016年,pp.556.)
出典:『仏教聖典』
弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。
(『和英対照仏教聖典』p.19)
出典:『ダンマパダ』
放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。
(『ブッダの真理のことば感興のことば』岩波文庫,2020年,p.14.)
出典:『仏教聖典』
過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。
(『和英対照仏教聖典』p.379)
出典:『蓮如上人御一代記聞書』
心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり。
(ご法義をよく心得ていると思っている者は、実は心得てはいないのである。反対に、何も心得ていないと思っているものは、よく心得ているのである。弥陀がお救いくださることを尊いことだとそのまま受け取るのが、よく心得ているということなのである。物知り顔をして、自分はご法義をよく心得ているなどと思うことが少しもあってはならない。)
(浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会『浄土真宗聖典 蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』本願寺出版,2000年,p.138)
出典:『揚子法言』
(1)物事に始めがあるものには必ず終わりがあるということ。(2)いつまでも滅びることなく盛りが続くものはないということ。
(時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』2016年,pp.477-478.)
出典:『一遍上人語録巻上』
一遍が「捨聖」といわれるのは、阿弥陀仏を信ずるとか、念仏を称えれば救われるという心も捨てよという。捨てるということの解放性。そこに軽安(こころのやすらかさ)が生まれる。
(『みちしるべ─八正道シリーズ 正思惟─ 正しい考え方』公益財団法人 仏教伝道協会,2014年,p.129.)
出典:『仏教聖典』
内にも外にもとらわれず、有にも無にもとらわれず、正にも邪にもとらわれず、迷いを離れ、さとりにこだわらず、中流に身をまかせるのが、道を修めるものの中道の見方、中道の生活である。
(『和英対照仏教聖典』p.115)
出典:ことわざ
明月の光が闇を照らすように、真理が人の迷妄を破ること。煩悩が解け去って、あらわれてくる心の本体を月にたとえていう。
(『故事俗事 ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.609.)
出典:『横川法語』
生きとし生けるもの全ての中において、三悪道(地獄の世界・餓鬼の世界・畜生の世界)を避けて、人間に生まれるということは、大変稀なことである。社会的な地位は低いと言っても、畜生より劣ると言うことではない。家が貧しいと言っても、もがき苦しむ餓鬼ではない。心の中に思うことが実現しないと言っても、地獄の苦しみには比べようもない。
出典:『法華証明抄』
いのちの尊さとはいのちのはかなさと直結している。壊れものであり、はかないものであるから、今ここにあるいのちが尊いのである。
(『みちしるべ─八正道シリーズ 正思惟─ 正しい考え方』公益財団法人 仏教伝道協会,2014年,p.75.)