禅僧の言葉 Vol.01 栄西「広く衆生を度して、一身のために一人解脱を求めざるべし」

Vol.01 栄西「広く衆生を度して、一身のために一人解脱を求めざるべし」

  みなさま、はじめまして。私は禅宗である臨済宗妙心寺派の僧侶であり、住職として東京都世田谷区にある龍雲寺をお預かりしております。これから一年間連載させていただくこのコラムでは、日本で活躍された禅僧たちの生涯とそのことばを学びながら、そこに伝わる「禅のメッセージ」を受け止めていきたいと思います。

  初回である今回は、日本の臨済宗の祖といわれる、栄西(ようさい)禅師についてです。

  栄西は小中学校の教科書でもその名が見られるように、鎌倉時代に禅宗(臨済宗)を日本に伝えた高僧です。日本の主な禅の宗派は臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3つがあり、社会科の試験問題で「曹洞宗は道元、臨済宗は栄西」と記憶されておられる方も多いと思います。

  栄西は1141年に備中(現在の岡山県)に生まれ、13歳の時に比叡山延暦寺に上り、出家をされます。つまり天台宗の僧侶となったのが始まりです。
  その後、二回にわたって中国の宋に渡り、臨済禅を修められます。この時代の中国への渡航は文字通り命がけ、金銭的にも非常に狭き門という状況の中で、二回という数字は驚異的です。さらに二回目の入宋では、結果的には叶いませんでしたが、中国だけではなく天竺(インド)を目指していたというのですから、栄西の仏教に対する願心は、筆舌に尽くしがたいものがあります。 やっとの思いで日本に禅を持ち帰ってきた栄西でしたが、既存の日本仏教界が温かく迎え入れてくれるはずもなく、多くの苦難を乗り越えて、禅宗という教えを日本に育む基盤をつくられたのでした。

  これほど偉大な栄西でありながら、実は、現代の臨済宗ではあまりクローズアップされていません。禅宗よりは、むしろ中国から茶種を持ち帰り、背振(せふり)山(さん)系(現在の福岡と佐賀の県境)に茶種を植えたことから「茶祖」と称されることの方が多いのではないでしょうか。ただ、栄西が日本に最初に茶を伝えたわけではなく、抹茶による喫茶法を初めて日本に持ち帰ったと言われています。それも、千利休が大成された茶道とは違い、あくまでも薬効を期待してのものでした。

  臨済宗にとって宗祖といえば、中国の臨済禅師になります。その次に名前が出てくるのは、江戸期に衰退していた臨済宗に新しい息吹を吹き込んだ「臨済宗中興の祖」白隠(はくいん)慧鶴(えかく)禅師です。
もちろん、栄西が開かれた京都・建仁寺様や博多の聖福寺様などにおかれては、栄西は「ご開山様」として篤くお祀りされています。しかし、国内の大多数の臨済宗寺院においては、絶対的な宗祖とは考えられていません。日蓮宗の日蓮上人や、真言宗の弘法大師とは置かれている立場が異なるのです。

  また、栄西は枯淡と呼べるようないわゆる「禅僧らしい」僧侶ではなかったようです。ボロボロの着物をきてはいけない、歯磨きをしっかりしなくてはいけない等と、身だしなみの重要性を説いています。そして「大(だい)師号(しごう)」」というような僧侶としての地位や名声も望んでおり、当時、一部批判も受けていたようです。おそらくそれらのことから、後世の禅僧たちは栄西の禅が「純粋ではない」としたのでしょう。

  私自身、臨済宗の僧侶でありながら、恥ずかしながら栄西についての知識はほとんど持ち合わせていませんでした。教科書で学んだレベルのものでしたが、色々な書物を読み勉強していく中で、禅の求道者に向けた、栄西の次の言葉に感銘を受けるのです。

  「広く衆生を度して、一身のために一人解脱を求めざるべし」『興禅護国論』

  『興禅護国論』は、栄西が禅の普及のために記した書で、このことばは「あまねく全ての人々を救わんとして、自分一人の小果を求め満足してはならない」と訳することができます。
また、曹洞宗の道元の書物には、栄西のことばとして次のような記述があります。「救いを求める飢えた人々に仏像の光背を造るための銅を分け与え、その批判に対して『わたしはこの罪によってたとえ地獄に墜ちるとしても、衆生の飢えを救いたい』」。

  これらの言葉には、栄西のまっすぐな気持ちが感じられます。栄西は、自分自身が中国で体得した禅の教えで、悩み苦しむ人々をどうしても救いたかった。禅の教えを伝えるためには、権力も名声も必要であった。自らの経験に基づいて、禅を広めるためには社会的な地位を高めることが必要であった。単なる権力欲しさで行っていたことではなく、鎌倉時代に新興の仏教を広めていくには、この手段こそ最上である、という信念があったのです。ここには、日蓮上人が他宗を批判した行いにも通じるところが感じられます。すべては「あまねく一切の衆生を救わん」という願心からでてきた行いであったのです。
  私もこの言葉を支えに、文章を書き、話をさせていただいています。禅という「言句では決して表現できないもの」を言葉で説いていくことに、私は大きな矛盾を感じずにはいられません。確かに、禅というものは、確かに書けば書くほど遠ざかり、説けば説くほど隔たっていくものなのかもしれません。それでも、そのことを自身で痛感しながらも、少しでも多くの人たちに禅の教えを伝える努力を怠ってはならないと。栄西は教えてくれるのです。
  坐禅という行いも同じです。私たちが行う坐禅は、自分一人の小果を求め満足してはなりません。調えた身体と心で、いかに社会と関わっていくかが大切になります。確かに「仕事の効率をあげたい」「集中力を高めたい」という動機は小果なのかもしれません。しかし、はじめの入口は問題ではありません。坐禅をする中でいつか出会うその出口が、栄西のことば「あまねく一切の衆生を救わん」と同じものであればいいのです。

細川晋輔  臨済宗妙心寺派 龍雲寺 住職

1979年生まれ。東京都世田谷区・龍雲寺住職。松原泰道の孫。佛教大学卒業後、京都・妙心寺専門道場にて9年間禅修行。花園大学大学院修了。妙心寺派布教師。東京禅センター副センター長。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』禅宗指導。朝日カルチャー新宿教室、早稲田大学エクステンションセンター中野校講師。著書『わたしの坐禅』(青幻舎)、『人生に信念はいらない』(新潮社)、『迷いが消える禅のひとこと』(サンマーク出版)ほか。

細川晋輔

このページの先頭へ