仏教聖画

いずれの時代、いずれの社会でも争いや憎しみのない平和な明るい世界を実現するためには、まず人びとの心を明るく、豊かにすることが大切です。

そのためには、物心両面にわたって、いろいろな方法がありますが、特に宗教的な情操を養うことこそ、最も必要なことでありましょう。

この「釈尊絵伝」は、このような意味から、釈尊の偉大な生涯を絵伝にして、これを寺院の本堂、客殿、書院はもとより幼稚園、保育園、学校、さらに会社、一般家庭にひろめ、知らず知らずのうちに仏教的情操を育成しようと願い、仏教画家として世界的に著名な、野生司香雪画伯に揮毫を依頼し、膨大な文献・資料を駆使して、実に10数年もの歳月をかけて完成された大作です。

釈尊のご一生を、<託胎>、<降誕>、<出城>、<牧女の供養>、<成道>、<転法輪>、<涅槃>の7つの場面に分けて、それら一つひとつを感動的な構図と優美な色彩で、あますところなく表現したものです。現在は「絵ハガキ」としておとどけしております。

野生司香雪(のうす こうせつ)画伯(1884―1974)

明治17(1884)年香川県生まれ。東京芸術大学日本画科卒業。在学中より仏教美術を専攻。仏教美術研究のためインドに渡り、あまねく仏教史跡を訪れる。アジャンタの壁画模写、初転法輪寺(インド・ベナレス郊外サルナート)にインド政府の依頼により釈尊一代の壁画を揮毫。

釈尊絵伝

託胎(たくたい)
結婚して20年、子宝に恵まれなかった摩耶夫人(まやぶにん)は、ある夜、白象が天から降(くだ)ってきて胎内に入る夢を見ました。子供を宿すということは、人間としての出発点ですし、人間のはからいを超えたものですから、その因縁の不思議さを象徴しているのです。

降誕(ごうたん)
里帰りの途中、ルンビニーの花園で休まれた摩耶夫人は、美しいアショーカの一枝を折りとろうとした瞬間、一人の王子を生みました。生まれたばかりの赤ちゃんが、将来にどんな可能性をも秘めていることを、“天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)”という言葉によって表現しているのです。

出城(しゅつじょう)
幼くして母を失い、王子としてのぜいたくな生活にも心からは喜べなかったシッダールタは、29才のある日白馬に乗り、一人の従者をつれ、人間として生きている本当の意味を探し求めるために、ひそかに城をぬけ出しました。

牧女の供養(もくにょのくよう)
6年間のはげしい苦行の末、心身ともに疲れ切ったシッダールタは、一人の貧しい村娘の捧げる一椀の乳がゆを受けました。そして“過ぎたるは及ばざるが如し”という諺のように、極端に肉体を苦しめるだけが正しい道ではないことに気がつき、やがて“中道(ちゅうどう)”をさとられたのです。

成道(じょうどう)
後に菩提樹とよばれるようになった一本の大木の下で静かに瞑想に入ったシッダールタは、さまざまな悪魔の誘惑や、自分の心の中の欲望に打ち克って、とうとう真実の道を発見して仏陀(ぶっだ)となられたのです。数多くの苦難を打ち破って、ブッダガヤとよばれる場所で仏となられたその姿には、私たちの心にひびく何ものかがあります。

転法輪(てんぽうりん)
仏陀となったシッダールタは、しばらくさとりの内容を心で味わわれた後、サルナートという近くの村で修行していた、もとの同行者(どうぎょうしゃ)五人に、はじめて自分の自覚した教えを説かれたのです。その後45年間にわたる説法の、それは最初だったのです。相手の立場を十分考慮した上で説かれたその教えは、どんな人にも安らぎを与えたのです。

涅槃(ねはん)
生まれたものは必ず死ななければならない――45年間もの長い間、数多くの人びとに教えを説き続けてこられた釈尊も、自ら説いた“諸行無常” の教えの通り、たくさんの弟子や信者の涙の中に、クシナガラで80歳の生涯をとじられました。


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