2025年用「一日一訓カレンダー」(2024年8月刊行)に掲載する写真を公募します。
今年で10回目となるフォトコンテストですが、前回の入選作品は、築地本願寺(東京)、平等院(京都)、瑞巌寺(宮城)の三会場で展示され、多くの方にご覧いただきました。
このカレンダーは日めくりとして仏教にちなんだ31の文言と写真により構成され、全国の寺院、海外を含め、毎年約13万部を頒布し、好評を得ています。仏典のことばや各宗祖のことばを各人が味わい、写真として表現していく中で、自然と仏教に親しみや関心を持っていただければ幸いです。どなたでも応募可能ですので、是非ご参加ください。応募票はこちら
2023年1月 | 公募を開始 |
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2023年8月31日(木) 必着 | 公募締め切り |
2023年9月 | 審査会 |
2023年10月 | 入選報告 |
2023年11月 | 入選作品発表(当協会ホームページにて) |
2024年8月 | 「2025年用カレンダー」を刊行予定 |
どなたでもご参加いただけます。制限はございません。
◆2025年用『一日一訓カレンダー』の各文言にあう写真 ※カラー/単写真のみ/横位置
一人3点
◆表紙採用: テーマ「禅定(ぜんじょう)~思いを静める~ ※カラー/単写真のみ/縦位置
一人1点まで
自然風景、動・植物や花等のネイチャーフォト、工芸品等の静物、抽象写真
※人物不可、ドローン撮影不可
◇ 一人3点(表紙写真も応募する場合は4点)までご応募いただけます。3つの文言に対し1枚ずつ、1つの文言に対し3枚、どちらでも結構です。文言の解説はこちらより
※他のコンテストなどに応募中や応募予定である作品、または過去に入賞した作品は応募できません。
※応募した写真が別の文言で入選する場合もございますので、予めご了承ください。
◇ キャビネサイズ(127mm×178mm/2L判に相当)にプリントしたものを封筒等に入れ、郵便または宅配便にて当協会までお送りください。
◇ データ(メール、CD-R等)では受け付けていません。必ずプリントしてください。
◇ 応募票に必要事項を記入の上、作品裏に天地が判るようテープ等で貼付しご応募ください。
応募作品の返却は致しません。審査後、当協会の「個人情報管理規程」に沿って処分致します。
2023年8月31日(木)必着
〒108-0014 東京都港区芝4-3-14 公益財団法人 仏教伝道協会 フォトコンテスト係
電話 03-3455-5851 平日 10:00-17:30
※選考経過、審査等に関するお問い合わせにはお答えできません。
当協会「フォトカレンダー選考委員会」にて選出。
審査員:石黒健治氏(写真家)・杉全泰氏(写真家)・丸林正則氏(写真家)・金子美智子氏(写真家)・楳村修治氏(写真家)
表紙採用: 賞金10万円×1名
入選: 賞金5万円×31名
※入選報告は電話または郵送にてお知らせします。
コンテストの結果は、当協会のホームページ(2023年11月)に掲載します。
◇ 入選作品は、原版(デジタルデータ)を提出していただきます。返却は致しませんので、コピーを保存してご提出ください。
◇ 入選作品の著作権は撮影者に、版権は当協会に帰属します。当協会は入選作品を無償で使用する権利を有します。
◇ 入選作品は主に以下の目的で使用します。当協会刊行の『一日一訓カレンダー』への掲載。新聞・雑誌広告、ポスターなどの印刷物、またホームページなどのwebコンテンツとしての二次利用など。尚、撮影者の氏名を表示する場合がございます。
個人・法人が所有・管理、あるいは権利を保有する被写体が含まれる場合、その被写体の権利所有者に承諾をいただいてください。他人の著作権、肖像権等を侵害するような行為が行われた場合、それに関するトラブルの責任は一切負いかねます。また、そのような作品の入選が判明した場合は、入選を取り消しさせていただく場合がございます。また応募作品は応募者本人が撮影し、全ての著作権を有しているものに限ります。他人の名前を使用した場合は失格になります。
入選・落選を問わず、取得した個人情報については、カレンダーフォトコンテストの事業運営およびそれに関わる目的にのみ使用し、他の目的には使用致しません。公益財団法人仏教伝道協会の個人情報の取扱いに関する詳細については、当協会ホームページ「個人情報保護に関する基本方針」、「個人情報の利用目的」をご参照頂きますようお願い申し上げます。
心静かに瞑想すること。六波羅蜜の第五。心静かな内観。心の計らいを静めること。瞑想。思念をこらすこと。心を動揺させないこと。精神集中の修練。
(中村元『佛教語大辞典縮刷版』東京書籍1981年,p.855)
出典:『仏教聖典』
迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。
(『和英対照仏教聖典』p.97)
出典:『無量寿経』
そもそも人として生れることは難しく、仏のお出ましになる世に生れることもまた難しい。その中で信心の智慧を得ることはさらに難しい。もし教えを聞くことができたなら、努め励んでさとりを求めるがよい。教えを聞いてよく心にとどめ、仏を仰いで信じ喜ぶものこそわたしのまことの善き友である。だからさとりを求める心を起すがよい。たとえ世界中が火の海になったとしても、ひるまず進み、教えを聞くがよい。そうすれば必ず仏のさとりを完成して、ひろく迷いの人々を救うであろう。
(『浄土三部経(現代語版)』本願寺出版社,1996年,pp.82-83)
出典:『仏教聖典』
限りない時の間、仏は常にこの世にあり、永遠の仏として、すべての人びとの性質を知り尽くし、あらゆる手段を尽くして救ってきた。
(『和英対照仏教聖典』p.43)
出典:『スッタニパータ』
(師は答えた)、「バラモンよ。わたくしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う」と。(中略)「わたしにとっては、信仰が種子である。苦行が雨である。智慧がわが軛と鋤とである。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ち着けることがわが鋤先と突棒とである。
(中村元『ブッダのことば』岩波書店,1984年, pp.23-24)
出典:『仏教聖典』
ものみなうつり変わり、現われてはまた滅びる。生滅にわずらわされなくなって、静けさ安らかさは生まれる。
(『和英対照仏教聖典』p.381)
出典:『ウダーナヴァルガ』
信仰心の深い人は、人生の旅路の糧を手に入れる。それは盗賊も奪うことのできない福徳である。盗賊が奪い去るのを防ぐ。功徳をともなう修行者らは、人々に愛される。修行者らが来たのを見ては、賢い人々は歓び迎える。
(中村元『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店,1978年,p.192)
出典:『維摩経』
一人の法を以て百千の人を開導し展転して盡(つ)きざるを、一燈をもって百燈を燃すにたとえて「無盡燈」という。
(『織田 仏教大辞典 補訂縮刷版』大藏出版,1954年, p.1709)
出典:ことわざ
周囲の汚れた環境に影響されずに、清らかさを保つことのたとえ。
(『岩波ことわざ辞典』岩波書店,2000年,p.394)
出典:空海『性霊集』
春には春の花々が、秋には菊をはじめ秋の花々が咲いて私の心をなぐさめてくれますし、あけがたの月、朝の風はまことに気持よく、私の心を洗ってくれるのです。
(加藤精一訳『ビギナーズ日本の思想 空海「性霊集」抄』角川ソフィア文庫,2015年)
出典:道元『正法眼蔵』
自分を学ぶというのは、自分を超えるということ。(中略)仏道とは、自分以外のほかのことを習うのではなく、自分を知ることなのです。(中略)自己を忘れるというのは、忘却するのではなく、「自己にとらわれない、自己を超える」ということです。
(『新書判シリーズ⑫心がラクになる禅』大創出版,2014年, pp.126-127)
出典:『仏教聖典』
宝石は地から生まれ、徳は善から現われ、智慧は静かな清い心から生まれる。広野のように広い迷いの人生を進むには、この智慧の光によって、進むべき道を照らし、徳の飾りによって身をいましめて進まなければならない。
(『和英対照仏教聖典』p.239)
出典:ことわざ
共に一つの事をする際に、互いの呼吸がぴったり合い気持が一つになること。また、その微妙な気持や調子を言う。
(『岩波ことわざ辞典』岩波書店,2000年,p.5)
出典:『ウダーナヴァルガ』
怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになるのである。怒った人々に対して怒らないならば、勝ち難き戦にも勝つことになるであろう。
(中村元『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店,1978年,p.222)
出典:聖徳太子『天寿国繍帳』
現象世界は仮のもので、ただ仏のみが真実である、ということ。聖徳太子の遺言として『天寿国繍帳』に記されている。
(中村元『広説佛教語大辞典中巻』東京書籍,2001年,p.1005)
出典:『大般涅槃経』
生きとし生けるものには、すべてに仏の素質があり、必ず将来仏になることが保証されている。
(奈良康明『仏教名言辞典』東京書籍,1989年,p.48)
出典:荘子『荘子』
世間の役に立たないとされているものが、別の意味で非常に大切な役割を果たすこと。役に立たないことがかえって有用であること。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.1118)
出典:日蓮『西山殿御返事』
人の心は変わりやすく、善にも悪にもなる。(中略)「地獄」も「仏」も私たちの身の内、心の内に存在する。
(法華宗(本門流)公式ホームページより参照)
出典:『仏教聖典』
道を求めるものは、常に身と口と意の三つの行いを清めることを心がけなければならない。(中略)口の行いを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。
(『和英対照仏教聖典』p.243)
出典:『無量寿経』
自分の願いを成就していく道とは、その願いを自分自身の内に徹底して自覚していくところにしかないからです。もし自分の願いが曖昧になっていくならば、そこには歩んで行く道もまた見失われていくからです。
(大谷大学公式ホームページより参照)
出典:『仏教聖典』
信は、常に仏の前にいるという思いを人に与え、仏に抱かれている思いを与え、身も心も柔らかにし、人びとによく親しみなじむ徳を与える。
(『和英対照仏教聖典』p.357)
出典:松尾芭蕉「謡曲」
花が一つ開くのを見て、春の訪れを知る。もののきざしから全体を知るたとえ。
(『精選版 日本国語大辞典』コトバンク)
出典:懐奘『正法眼蔵随聞記』
高位にいてもへりくだることを忘れてはならぬ。今日は命を保っていても、明日もと思ってはならぬ。死にいたる危険は、つねに足もとにおよんでいる。
(『日本の古典-12 親鸞・道元・日蓮』河出書房新社,1973年,p.246正法眼蔵随聞記/訳:真継伸彦)
出典:『世話尽』
憂いとかつらいとかいうのも、心の持ち方一つである。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.130)
出典:ことわざ
歴史を学ぶことが現在を生きる参考となること。昔の人が経験した事実は、現在にも通じる部分がある。(中略)変化したと思われるものにも過去との共通性を見出すことができる。
(『岩波ことわざ辞典』岩波書店,2000年,p.579)
出典:『六祖壇経』
心を一つの行に定めて修する三昧。一切時中において、行住坐臥、常に真にして直心なること。日常生活に通ずる活発な活動。
(中村元『佛教語大辞典縮刷版』東京書籍1981年,p.46)
出典:『仏教聖典』
まことに、人の生まれることは難く、教えを聞くことも難く、信を得ることはさらに難い。だから、努め励んで、教えを聞かなければならない。
(『和英対照仏教聖典』p.363)
出典:韓非『韓非子』
水は容器の形によってどんな形にでもなる。人は、交友や環境しだいで善にも悪にも感化されるということをたとえていう。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.1088)
出典:『仙厓和尚遺稿』
仙厓和尚が成金の者に送った戒めの句。慢心すると失敗につながるので、成功したときこそ気を引き締めるべきという意味の格言。
(石村善右『仙厓百話』文献出版,1998年,p.39)
出典:『仏教聖典』
道を求めて進んでゆくことは苦しい。しかし、道を求める心のないことは、さらに苦しい。
(『和英対照仏教聖典』p.237)
出典:ことわざ
夜の明けない朝はない。事態はいつか好転することがあるということ。
(『岩波ことわざ辞典』岩波書店,2000年,p.16)
出典:『パーリ大般涅槃経』
ブッダが亡くなる直前に残した最期の教え。この世には常なるものは存在しない。諸々のことがらが過ぎ去っていく諸行無常の世界を前提とし、その中でブッダの説いた法に則って、自己を鍛え日々を過ごせと説いている。
(佐々木閑訳・監修『ブッダ100の言葉』宝島社,2015年,p.223)