2024年用「一日一訓カレンダー」(2023年6月刊行)に掲載する写真を公募します。
今年で9回目となるフォトコンテストですが、前回の入選作品は、築地本願寺(東京)、平等院(京都)、瑞巌寺(宮城)の三会場で展示され、多くの方にご覧いただきました。
このカレンダーは日めくりとして仏教にちなんだ31の文言と写真により構成され、全国の寺院、海外を含め、毎年約13万部を頒布し、好評を得ています。仏典のことばや各宗祖のことばを各人が味わい、写真として表現していく中で、自然と仏教に親しみや関心を持っていただければ幸いです。どなたでも応募可能ですので、是非ご参加ください。応募票はこちら
2022年1月 | 公募を開始 |
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2022年8月31日(水) 必着 | 公募締め切り |
2022年9月 | 審査会 |
2022年10月 | 入選報告 |
2022年11月 | 入選作品発表(当協会ホームページにて) |
2023年6月 | 「2024年用カレンダー」を刊行予定 |
どなたでもご参加いただけます。制限はございません。
◆2024年用『一日一訓カレンダー』の各文言にあう写真 ※カラー/単写真のみ/横位置
一人3点
◆表紙採用:テーマ「精進(しょうじん)~不断の努力」※カラー/単写真のみ/縦位置
一人1点まで
自然風景、動・植物や花等のネイチャーフォト、工芸品などの静物。抽象写真。
※人物不可、ドローン撮影不可
◇一人3点(表紙写真も応募する場合は4点)までご応募いただけます。3つの文言に対し1枚ずつ、1つの文言に対し3枚、どちらでも結構です。文言の解説はこちらより
※他のコンテストなどに応募中や応募予定である作品、または過去に入賞した作品は応募できません。
※応募した写真が別の文言で入選する場合もございますので、予めご了承ください。
◇キャビネサイズ(127mm×178mm/2L判に相当)にプリントしたものを、角7封筒等に入れ、宅配便または簡易書留にて当協会までお送りください。
◇データ(メール、CD-R等)では受け付けていません。必ずプリントしてください。
◇応募票に必要事項を記入の上、作品裏に天地が判るようメンディングテープ等で貼付しご応募ください。
応募作品の返却は致しません。審査後、当協会の「個人情報管理規程」に沿って処分致します。
2022年8月31日(水)必着
〒108-0014 東京都港区芝4-3-14 公益財団法人 仏教伝道協会 フォトコンテスト係
電話 03-3455-5851 平日 10:00-17:30
※選考経過、審査等に関するお問い合わせにはお答えできません。
当協会「フォトカレンダー選考委員会」にて選出。
審査員:石黒健治氏(写真家)・杉全泰氏(写真家)・丸林正則氏(写真家)・金子美智子氏(写真家)・楳村修治氏(写真家)
表紙採用: 賞金10万円×1名
入選: 賞金5万円×31名
※入選報告は電話または郵送にてお知らせします。
コンテストの結果は、当協会のホームページ(2022年11月)に掲載します。
◇入選作品は、原版(デジタルデータ)を提出していただきます。返却は致しませんので、コピーを保存してご提出ください。
◇入選作品の著作権は撮影者に、版権は当協会に帰属します。当協会は入選作品を無償で使用する権利を有します。
◇入選作品は主に以下の目的で使用します。当協会刊行の『一日一訓カレンダー』への掲載。新聞・雑誌広告、ポスターなどの印刷物、またホームページなどのwebコンテンツとしての二次利用など。尚、撮影者の氏名を表示する場合がございます。
個人・法人が所有・管理、あるいは権利を保有する被写体が含まれる場合、その被写体の権利所有者に承諾をいただいてください。他人の著作権、肖像権等を侵害するような行為が行われた場合、それに関するトラブルの責任は一切負いかねます。また、そのような作品の入選が判明した場合は、入選を取り消しさせていただく場合がございます。また応募作品は応募者本人が撮影し、全ての著作権を有しているものに限ります。他人の名前を使用した場合は失格になります。
入選・落選を問わず、取得した個人情報については、カレンダーフォトコンテストの事業運営およびそれに関わる目的にのみ使用し、他の目的には使用致しません。公益財団法人仏教伝道協会の個人情報の取扱いに関する詳細については、当協会ホームページ「個人情報保護に関する基本方針」、「個人情報の利用目的」をご参照頂きますようお願い申し上げます。
「くわしくすすむ」とよむ。物事に精魂をこめて、ひたすら進むこと。善をなすのに勇敢であること。努め励むこと。心を励まして道に進むこと。(中略)勇敢にさとりの道を歩むこと。(中略)善を助けることを特質とする。大乗仏教の実践徳目である六波羅蜜の第四。特に他人のために奉仕することをいう。(中略)俗縁を断って潔斎し、仏門に入って宗教的な生活を送ることをいう。後には魚・鳥・獣の肉を食わないことをもいうようになった。
(中村元『広説佛教語大辞典中巻』東京書籍,2001年 p.875)
出典:日蓮『開目抄』
「一渧をなめて大海の潮を知り 一華を見て春を推せよ」
すなわち、すべてを調べずとも、一滴なめれば海水は塩辛く、華も同様、桜を見れば春の訪れがわかるということ。
(日蓮宗ポータルサイト参照)
出典:『景徳伝灯録』
万物の消滅転変の速やかなこと。人の移り変わりがきわめて早いこと。人の死が思いがけず早く来ること。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1982年 p.1111)
出典:『仏教聖典』
「こころのいかり〈忿〉を絶ち、おもてのいかり〈瞋〉を棄てて、人の違うことを怒らざれ」
心の中で恨みに思うな。目に角を立てて怒るな。他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。人にはみなそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。(中略)しかし自分がかならずしも聖人なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。
(中村元『日本の名著2 聖徳太子』中央公論社,1983年 p.410-414)
出典『西行桜』
まことに、世の中のことをあるがままに知ることはむつかしい。なぜなら、世の中のことは、まことかと見ればまことではなく、偽りかと見れば偽りでもない。愚かな者たちはこの世の中のことを知ることはできない。(中略)
仏が教えようとしていることはこうである——「すべての人びとは、その性質、行い、信仰心に応じて善の根を植えるべきである。」
(『和英対照仏教聖典』p.45)
出典:ことわざ
油断は心の隙であり、そのために敵に攻められて破滅したり、思わぬ失敗をしたりする。従って、油断そのものが恐ろしい大敵だと言うこと。
(『すぐに役立つ 故事ことわざ辞典』あすとろ出版,1993年 p.394)
出典:吉蔵『大乗玄論』
草木や国土のように心を有しないものさえも、仏性をもっているので、ことごとくみな、仏になる、という意。
(中村元『佛教語大辞典縮刷版』東京書籍,1981年 p.871)
出典:『仏教聖典』
欲をおさえしずめることによって煩悩をしずめる。明らかな心によって、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに起こる欲をおさえしずめて、煩悩の起こる根元を断ち切る。
(『和英対照仏教聖典』p.229)
出典:『中部経典』
このまえに「過去を追うな、未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来は未だ到っていない。現在の状況をそれぞれによく観察し、明らかに見よ」とある。今を考え、今を見、今実践する、ということこそ、肝要である。今の充実が過去の充実となり、今の充実が未来を創造する因となるのである。
(須藤隆仙『仏教ことわざ辞典』新人物往来社,1995年 p.146)
出典:『仏教聖典』
ヒマーラヤ山のふもとの、ある竹やぶに、多くの鳥や獣と一緒に、一羽のおうむが住んでいた。あるとき、にわかに大風が起こり、竹と竹とが擦れあって火が起こった。おうむは、一つには、長い間住居を与えてくれた竹やぶの恩に報いるために、近くの池に入っては翼を水に浸し、空にかけのぼっては滴を燃えさかる火の上にそそぎかけた。「恩を思う心と慈悲の心からしていることが、できないはずはない。わたしはどうしてもやる。次の生に及んでもやりとおす。」と言うと、梵天はおうむの偉大な志にうたれ、力を合わせてこのやぶの火を消し止めた。
(『和英対照仏教聖典』p.275)
出典:『ウダーナヴァルガ』
他人の過去を見るなかれ。他人のなしたこととなさなかったことを見るなかれ。ただ自分の(なしたこととなさなかったことについて)それが正しかったか正しくなかったかを、よく反省せよ。
(中村元『ブッダの 真理のことば 感興のことば』岩波書店,1991年 p.214)
出典:『仏教聖典』
法そのものが仏であるから、この仏には色もなく形もない。色も形もないから、来るところもなく、去るところもない。来るところも去るところもないから充満しないところがなく大空のようにすべてのものの上にあまねくゆきわたっている。
(『和英対照仏教聖典』p.53)
出典:『仏教聖典』
(阿弥陀仏は)願いを立てて、はかり知れない長い間功徳を積み、清らかな国を作り、すでにはるかな昔に仏と成り、現にその極楽世界にいて、教えを説いている。
その国は清く安らかで、悩みを離れ、さとりの楽しみが満ちあふれ、着物も食物もそしてあらゆる美しいものも、みなその国の人びとの心の思うままに現われる。快い風がおもむろに吹き起こって、宝の木々をわたると、教えの声が四方に流れて、聞くものの心の垢を取り去っている。
(『和英対照仏教聖典』p.209)
出典:ことわざ
たった三日間家にこもっていたら、その間に桜が満開になっていたということで、世の中の移り変わりの激しさをいったもの。
(『すぐに役立つ故事ことわざ辞典』あすとろ出版,1993年 pp.397-398)
出典:龍樹『大智度論』
仏は忍を以って鎧と為し、精進を鋼甲と為し、持戒を大馬と為し、禅定を良弓と為し、智慧を好箭(こうせん)と為し、外に魔王の軍を破り、内に煩悩の賊を滅ぼす、是を阿羅訶(あらか)と名づく。
(『国訳一切経印度撰述部 釈経論部 一』p.63)
出典:ことわざ
現在が苦しくても、その苦労はやがて楽になるため、あるいは楽しい生活をするあめの種をまいているようなものだということ。
(宮坂正房『すぐに役立つ故事ことわざ辞典』あすとろ出版部、1993年 pp.138-139)
出典:蓮如『蓮如上人御一代記聞書』
他人の悪はよく目につき、見えるのであるが、自分自身の悪についてはなかなか気づかないものである。
(奈良康明『仏教名言辞典』東京書籍,1989年 p.26)
出典:『碧巌録』
修行が熟して、今まさにさとりを得ようという時にある弟子に、師家がすかさず一つの教示を与えて、さとりの境地に導くこと。
(中村元『佛教語大辞典縮刷版』東京書籍1981年, p.891)
出典:『仏教聖典』
世尊はシュローナを哀れんで言われた。
「シュローナよ、おまえは家にいたとき、琴を学んだことがあるであろう。糸は張ること急であっても、また緩くても、よい音は出ない。緩急よろしきを得て、はじめてよい音を出すものである。
さとりを得る道もこれと同じく、怠れば道を得られず、またあまり張りつめて努力しても、決して道は得られない。だから、人はその努力についても、よくその程度を考えなければならない。」
(『和英対照仏教聖典』p.341)
出典:親鸞『顕浄土真実教行証文類』
ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、印度・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇い難いのに今遇うことができ、聞き難いのにすでに聞くことができた。そしてこの真実の教・行・証の法を心から信じ、如来の恩徳の深いことを明らかに知った。そこで、聞かせていただいたところをよろこび、得させていただいたところをたたえるのである。
(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版』本願寺出版,2000年 pp.5-6)
出典:『仏教聖典』
北方の友人の道とは、相手の足らないものを施し、優しいことばで語り、利益をはかり、常に相手を思いやり、正直に対処する。また友人が悪い方に流れないように務め、万一そのような場合にはその財産を守ってやり、また心配のあるときには相談相手になり、逆境のときは助けの手をのばし、必要な場合にはその家族を養うこともする。このようにして北方の友人の道は平和であり、憂いがない。
(『和英対照仏教聖典』pp.425-427)
出典:慈雲『人となる道』
「道は古今たがはず。首(こうべ)かみに位(くらい)し、足(あし)しもに居(きょ)す。前後列あり。左右ところ定まる」
人倫の道理にかなっていることのたとえ。
(『日本名言名句の辞典』小学館,1988年 p.1045)
出典:『仏教聖典』
仏の慈悲はすべての人びとに向かうものであり、その本領はすべての人びとの幸福のため以外の何ものでもない。仏はあたかも父母のように人びとをあわれみ、人びとに迷いの海を渡らせようと願ったのである。
(『和英対照仏教聖典』p.35)
出典:空海『性霊集』
三宝の1つである僧伽(そうぎゃ)の意味を表した言葉で、僧侶たちが心を1つにして一致団結すること。
(『精製版日本国語大辞典』小学館)
出典:『仏教聖典』
病のないのは第一の利、足るを知るのは第一の富、信頼あるのは第一の親しみ、さとりは第一の楽しみである。
(『和英対照仏教聖典』p.373)
出典:懐奘『正法眼蔵随聞記』
人の心には、もともと善悪というものはない。善悪は条件や状況によって起こってくるものである。
(奈良康明『仏教名言辞典』東京書籍,1989年 p.48)
出典:ことわざ
出発点は違っていても、最後に帰着するところは同一であるところのたとえ。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1982年 p.200)
出典:栄西『興禅護国論』
「大いなるかな心や。天の高さは極むべからず。而るに心は天の上に出ず。」
心とはなんと広大なものよ。天空の高さはその極限をきわめることができないが、それなのに心は天の高さを超えてさらにその上に出る。
(奈良康明『仏教名言辞典』東京書籍,1989 p.47)
出典:『仏教聖典』
この世の中に、さとりへの道を始めるに当たって成し難いことが二十ある。
1. 貧しくて、施すことは難く、
2. 慢心にして道を学ぶことは難く、
3. 命を捨てて道を求めることは難く、
4. 仏の在世に生を受けることは難く、
5. 仏の教えを聞くことは難く、
6. 色欲を耐え忍び、諸欲を離れることは難く、
7. よいものを見て求めないことは難く、
8. 権勢を持ちながら、勢いをもって人に臨まないことは難く、
9. 辱められて怒らないことは難く、
10. 事が起きても無心であることは難く、
11. 広く学び深く究めることは難く、
12. 初心の人を軽んじないことは難く、
13. 慢心を除くことは難く、
14. よい友を得ることは難く、
15. 道を学んでさとりに入ることは難く、
16. 外界の環境に動かされないことは難く、
17. 相手の能力を知って、教えを説くことは難く、
18. 心をいつも平らかに保つことは難く、
19. 是非をあげつらわないことは難く、
20. よい手段を学び知ることは難い。
(『和英対照仏教聖典』p.262)
出典:『遺教経』
会うものは必ず離れるということ。生者必滅と対句である。世の無常を示す語。
(中村元『佛教語大辞典縮刷版』東京書籍1981年,p.104)
出典:『仏教聖典』
もともと生もなければ滅もないのに、生死の区別を見、また、人間の行為それ自体には善もなければ悪もないのに、善悪の対立を見るのが、人びとの偏見である。仏はこの偏見を離れて、世の中は空に浮かぶ雲のような、また幻のようなもので、捨てるも取るもみなむなしいことであると見、心のはからいを離れている。
(『和英対照仏教聖典』p.105)
出典:『法句経』
(托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。他人の得たものを羨むな。他人を羨む修行僧は心の安定を得ることができない。
(中村元『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店,1978年,p.61)