お釈迦さまの生涯を描くことに全身全霊をかけた仏画家・野生司香雪画伯。彼はインドの鹿野苑(サールナート)に建てられた初轉法輪寺(Mulagandhakuti Vihara 根本香精舎)に『釈尊一代記』の壁画を完成させました。昭和7(1932)年から昭和11(1936)年の約5年間もの年月をかけたその画業は、異郷の風土というだけではなく資金の欠乏にも悩まされながらのもので、まさに捨て身の苦行のように精進を続けられた成果でした。
その香雪の仏画家としての集大成であり、また最期の大作でもあるのが仏教伝道協会の所蔵する『釈尊絵伝』です。昭和30(1955)年に仏教伝道協会発願者の沼田惠範から製作を依頼されましたが、画伯は製作途中で脳出血を患ってしまいます。しかし治療とリハビリを繰り返しながらも製作を続けられ、昭和34(1959)年6点を描き終え、昭和36(1961)年、「牧女の供養」を加えた7点の連作絵画として完成されたのです。
この香雪画伯が命を賭けて描きあげた『釈尊絵伝』全点が増上寺宝物展示室前ラウンジにて一堂に展観されます(※東京では初)。自筆の手紙などとともに香雪の畢生の大作である仏画の世界をお楽しみください。
明治18年11月5日、香川県檀紙村(現高松市)生まれ。
本名述太(のぶた)。父(義問)は浄土真宗の僧侶。
明治36年、香川県工芸高校を卒。東京美術学校日本画科に進み、
明治41年卒業。卒業制作に「黄泉」を描く。
明治40年、東京勧業博覧会に「しずか」入選。
明治44年、美術研究会正会員になり、大正4年、同会第13回展で「月の香」三等賞。
大正3年、再興日本美術院に研究会員として参加。大正5年、院友となる。翌6年から仏教美術研究のためインドに渡り、荒井寛方を助け、昭和7年にはアジャンタの石窟壁画を模写した。帰国後に昭和8年、京都帝室美術館などで模写展を開催した。そのころ第9回院展(昭和9年)に出展した「窟院の朝」他、「印度アジャンタ窟院途上の巻」「大雪山」「恒河の畔」などインドに取材した作品を描く。
昭和7年、インド・サルナートの初轉法輪寺壁画を、急死した桐谷洗麟にかわって製作開始。昭和11年完成。壁画の下絵は永平寺に献納された。
昭和22年、信濃・善光寺雲上殿壁画完成。
その後しばしば脳出血の治療を繰り返しながらも製作を続けた。
昭和48年、仏教伝道協会より仏教伝道文化賞を受けた。
昭和48年3月28日没。
(「近代日本美術事典」1989.9.28講談社 参照)